花鳥風月・季節とともに暮らす喜怒哀楽365日

多情多感なメタボ招き猫が季節や日々の出来事、話題やニュースなどの情報や雑感をお伝えしています。

スポンサーリンク

10月18日は『ミニスカートの日』 1967年、ミニの女王「ツイッギー」が来日し、ミニスカートブーム 女性の精神革命起こる

10月18日は『ミニスカートの日』 :  
1967(昭和42)年の10月18日のこの日、イギリスからミニの女王「ツイッギー」が来日し、ミニスカートブームが起った記念日です。

この日を境に大和なでしこは「顔は小顔、胸は煎餅、脚は大根脚からツイッギーの様な「カモシカのような脚」そして「鉛筆脚」へと変身していった。

大和なでしこ総モデル化への助走あとなる。

ミニスカートでスタイルが軽快になり、精神的にも解放され女性の社会進出は男性をしのぐようになり、女性上位時代の到来となるきっかけを作った。

ミニスカートはファッション革命であるばかりでなく女性の精神革命ともなった。

 


Twiggy - The Face of the 60's


★ミニスカート
ミニスカート(Miniskirt)は、丈の短いスカートの総称である。ミニスカートの長さの基準は特に決まっているわけではないが、一般的には穿いた時、膝が常に見える状態のものからがミニスカートと呼ばれる。
「ミニスカ」あるいは「ミニ」などと略され、膝上丈よりもさらに短い、太股の中央よりも上の極端に短いものは「マイクロミニスカート(マイクロミニ)」と呼ばれることもある。

1960年代はプレタポルテの台頭に加えて若者のファッションであるストリートファッションの影響力も強くなっており、その典型的アイテムが『ミニスカート』であった。
1959年にロンドンのストリート・デザイナーマリー・クワントが若者向けに売り出し、世界的な流行の火付け役は、フランスのファッションデザイナー、アンドレ・クレージュによる1965年の発表であった。
その後、イギリス出身のモデルツイッギーが着用してブームを呼び起こし、これによりミニスカートは世界中に広がった。ツイッギーは1967年10月に来日し、日本にもツイッギー旋風を起こしてミニスカートを流行させた。

 

●日本での歴史
1965年(昭和40年)8月11日、帝人が日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」を発売。
1967年(昭和42年)に野際陽子がパリから帰国した際に着用していたことが話題になり、同年に美空ひばりがミニスカート姿で『真赤な太陽』を歌謡番組で歌い、脚光を浴びた。

それ以来大流行となったが、都市部の若い女性だけにとどまらず、世代を超えて全国津々浦々に広がり、1969年(昭和44年)に首相・佐藤栄作の訪米に同行した首相夫人・佐藤寛子は当時62歳の年齢でミニスカートを着用した。

この当時多くの女性のミニスカートはひざ丈よりやや短い程度であった。また既存のスカートの裾を自ら短くしてミニスカートに改造することも多く、その様は漫画・『サザエさん』でもしばしば描かれている。
この第一次ミニスカートブームは交通機関・女性警官・大阪万博での多くのパビリオンのコンパニオンなど女性の制服にも影響したが、1973年(昭和48年) - 1974年(昭和49年)頃には終息した。

その後1982年(昭和57年)頃の小流行を経て、1980年代末から1990年代初頭のバブル期には膝上30~35cmで「超ミニ」、「マイクロミニ」などとも呼ばれるミニスカートが流行した。この流行はボディコンシャスなスタイルの流行に伴うもの。

その後は若年層を除いて極端なミニスカートの流行はみられないが、スカートの丈と経済の好況不況が関連付けて論じられることもある。

1960年代から1970年代は子供にもミニスカートや丈の短いワンピースを着せる親が多く、成長の早さも相まってショーツが露出した格好になっている女児も多く見られ、『サザエさん』の登場人物に因んで「ワカメちゃんスタイル」と呼ばれていた。

10月18日は「ミニスカートの日」とされている。由来はツイッギーが1967年(昭和42年)に初来日した日であることから。

2009年、日本一スカートの短いアイドルグループとしてスマイレージが結成され、ミニスカートを穿いて活動している。

ミニスカートの流行は、世界の価値観を大きく変えた。それまで、上流階級の女性に無くてはならない宝石であった真珠は、ミニスカートに似合わないという理由で1967年ごろから需要が激減している

 

★ツイッギー
ツイッギー(英: Twiggy、1949年9月19日 - )は、イギリスの女優、モデルおよび歌手。現在は結婚後の名前ツイッギー・ローソン(Twiggy Lawson)として広く知られる。身長165cm、体重41kg。


Twiggy Biography

 

●プロフィール
ツイッギーは、ロンドン郊外のニースデンで、レズリー・ホーンビー(Lesley Hornby)という名で生まれた。彼女は16歳で当時のボーイフレンドかつマネージャーであるジュスタン・デ・ヴィルヌーヴの影響の下で有名になった。

間もなく1960年代のスウィンギング・ロンドンにおける「顔」と見なされ、その華奢な体型から「ツイッギー」(小枝)の愛称を得て、世界的な知名度と人気を得た。

彼女は成熟と共にデ・ヴィルヌーヴの元を去り、1971年のケン・ラッセル監督作品『ボーイ・フレンド』に出演し、女優および歌手としてその活動の幅を広げた。この作品でゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞。その後彼女は映画や演劇で様々な役柄を演じた。
2004年の来日時に『週刊文春』の対談にて、やせていたのは体質で「今でもかなり食べますけど、当時は太りたくていっぱい食べていたんです」と語っている。

●日本での活動
東レトヨタ、森永製菓の3社合同招待にて1967年10月18日17時に羽田へマネージャー兼恋人であるデ・ヴィルヌーヴと共に降り立った彼女はカメラマンの群れを避けるように宿舎である東京ヒルトンホテルへ向かった。当時のサイズは身長165cm、体重41kg。

また彼女はこの頃、年に1000万ドル(36億円)を稼ぎ出す売れっ子ファッションモデルで「ミニ(スカート)の女王」として日本では若い女性から羨望の的とされ、ツイッギーをイメージしたコンテストが催されるほどの加熱ぶりであった。

滞在中は森永製菓の「チョコフレーク」や「トヨタ・コロナ」(1967年)のCM撮影などをこなし、大阪の吉兆を訪れたり、京都の時代祭を楽しんだりした後、11月8日に帰国。それ以来、何度か来日している。1971年発売の森永「小枝」は、この来日の後、ツイッギー(小枝)の名をヒントに誕生したと言われている。

●エピソード
1967年の第14回東京モーターショートヨタブースでゴールド塗装(特別色)のトヨタ2000GTのモデルを務めた。この2000GTはモーターショー終了後に彼女へプレゼントされ、英国へ渡った。現在はアメリカのトヨタミュージアムで展示されている。

ピチカートファイブの楽曲「トゥイギー・トゥイギー」(野宮真貴のソロデビューアルバム収録曲ツイッギー・ツイッギーのカバー)は彼女のことが題材となっている。

最近でも「レトロファッション流行で60年代風のレトロメイクがトレンド、特にTwiggy(ツイッギー)のメイクは相性抜群」等と話題となった。