8月27日の『男はつらいよ』の日によせて
8月27日は『男はつらいよ』の記念日です。
●『男はつらいよ』の日
1969年のこの日8/27日、山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開された。
「フーテンの寅」が最初に登場したのはテレビドラマで、この時は最終回で寅さんは死亡した。しかし、あまりの反響の大きさのため映画で復活し、以来48作にも及ぶ世界最長の長編シリーズとなった。
■8月27日 『男はつらいよ』の日について
1969年8月27日、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」の第1作が公開された。
第1作 1969年8月27日 男はつらいよ マドンナ=光本幸子 ゲスト=志村喬、広川太一郎 ロケ地=京都府、奈良県
当時の入場料は450円。映画の主人公の車寅次郎、通称「フーテンの寅」は、俳優渥美清さんの当たり役となった。後には「国民的映画」とも称される長期シリーズとなり、渥美さんが亡くなる直前に撮影された95年の第48作「寅次郎 紅の花」まで続いた。
寅さんが生まれ育った東京の下町、葛飾柴又には今でも多くのファンが訪れている。同地の「寅さん記念館」は2012年12月にリニューアルオープンし、タコ社長が経営する活版印刷工場など、映画の情景が忠実に再現されている。
☆雑感・一言
私も寅さんの様に、ある時不意にどこかに旅に出たくなります。
このまま電車を乗り継いで、世間と縁を切り、風の吹くまま、気の向くままぶらり旅に出かけられたらいいだろうなと思う時があります。
寅さんはある意味では幸せだと思います。
旅に疲れた時、生きていくのが辛くなった時にはいつでも帰れる家があります。おじちゃんおばちゃんそして妹のさくらがいつでも待っていてくれ、羽を休めることができます。
寅さん(人)は外では明るく気丈にふるまっていますが内心、ココロが折れそうになる時があります。
寅さんが我が家で時々すねたり、怒ったりしますがあれは家族への甘えだと思います。
外でのストレスを虎屋で発散させているのです。
男は家族を幸せにしなければならないし、辛いことにも耐え、悲しくても涙を見せられないから
「男はつらいよ」
※余談
リリーこと浅丘ルリ子が最終回は寅さんを結婚させてあげてはどうでしょうかと監督に進言したが監督は寅さんは永遠に独身のほうがいいということで独身のままで終わっている。
★『男はつらいよ』(おとこはつらいよ)は、渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマおよび映画である。テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも、失恋するか身を引くかして成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く。主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることが多い。
●レギュラー出演
車寅次郎 渥美清
諏訪さくら長山藍子(ドラマ版)→倍賞千恵子
諏訪博(博士)井川比佐志(ドラマ版)→前田吟
車竜造(おいちゃん)森川信(ドラマ版、第1作 - 第8作)→松村達雄(第9作 - 第13作)→下條正巳(第14作 - 第48作)
車つね(おばちゃん)杉山とく子(ドラマ版)→三崎千恵子
諏訪満男中村はやと(第1作 - 第8作、第10作 - 第26作)沖田康浩(第9作のみ)→吉岡秀隆(第27作 - 第48作)
桂梅太郎(社長・タコ社長)太宰久雄
御前様笠智衆(第1作 - 第45作)
源公(源吉)佐藤蛾次郎(第8作を除く)
準レギュラー
川又登津坂匡章(現・秋野太作)(ドラマ版、第1作、第2作、第4作、第5作、第9作、第10作、第33作)寅次郎の舎弟。
坪内冬子(御前様の娘/第1作のマドンナ)光本幸子(第1作、第7作、第46作)
リリー(松岡リリー、松岡清子)浅丘ルリ子(第11作、第15作、第25作、第48作)マドンナ。
坪内散歩東野英治郎(ドラマ版、第2作)
お菊武智豊子(ドラマ版)→ミヤコ蝶々(第2作、第7作)寅次郎の母。
桂あけみ美保純(第33作 - 第39作)タコ社長の娘。
及川泉後藤久美子(第42作 - 第45作、第48作)満男の高校時代のブラスバンド部の後輩で交際相手/マドンナ。及川礼子夏木マリ(第42作 - 第45作、第48作)泉の母。三平北山雅康(第40作 - 第48作)
くるまやの店員。加代鈴木美恵(第46作 - 第48作)くるまやの店員。

- ジャンル: CD・DVD・楽器 > DVD > 趣味・実用 > 地理
- ショップ: ユーキャン通販ショップ
- 価格: 68,800円
◆有名なセリフ
「それを言っちゃあおしまいよ」
ケンカの際においちゃんが言う「出てってくれ」に対して寅次郎が返すセリフ。第1作で渥美清がとっさに放ってしまったアドリブだったが、セリフの持つ意味に感心した山田洋次がその後、脚本に多用するようになった。
「相変わらずバカか?」
柴又に帰ってきた寅次郎が、備後屋などの顔なじみと交わす挨拶。これも元々は渥美清のアドリブであった。
「労働者諸君!」
寅次郎が、とらやの裏にある朝日印刷の印刷工に向かってかける言葉。マドンナに寅次郎の想いが伝わったと思い込み、寅次郎の機嫌が良い時にかけられることが多い。
「おいちゃん、店じまいにするか」
旅先で出会ったマドンナがとらやに訪れ、近所の者が見物したさに集まったときに、とらやを臨時休業にすることが多い。寅次郎が客に向かって、満面の笑顔で「今日はもうおだんご売り切れなの」と言って、店を閉めるパターンもある。
「今夜はこのへんでお開きってことにするか」
とらやの茶の間で妄想などを含んだ語りが終わり、自分の部屋に上がる際に言い残す言葉。
「お前、さては(さしずめ)インテリだな?」
寅次郎が言い合いで負けた時や、自分が理解できないことを言われた時によく使用する。寅の知識や才覚が、半生の中で身についたことを証明する台詞とも考えられる。
「結構毛だらけ猫灰だらけ」
商売の啖呵から派生している、寅次郎の口癖。投げやりになったり、すねている際などに吐くこともある。その後にお尻の周りは糞だらけと続く場合が多い。
「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、たいしたもんだよ蛙の小便」
これも商売の啖呵から派生している、寅次郎の口癖。相手に感心したことを茶化して言うことが多い。「たいしたもんだよ」は「田へしたもんだよ」との掛詞になっている。
「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姉ちゃん立ち小便」
「ヤケのヤンパチ日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯がたたないよときやがった」
「四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い」
寅次郎が的屋商売でよく使う口上である。
男はつらいよの歴代マドンナ一覧表
作数 |
公開時期 |
タイトル |
マドンナ |
1 |
1969年8月 |
||
2 |
1969年11月 |
続・男はつらいよ |
|
3 |
1970年1月 |
男はつらいよ フーテンの寅 |
|
4 |
1970年2月 |
新・男はつらいよ |
|
5 |
1970年8月 |
男はつらいよ 望郷篇 |
|
6 |
1971年1月 |
男はつらいよ 純情篇 |
|
7 |
1971年4月 |
男はつらいよ 奮闘篇 |
|
8 |
1971年12月 |
男はつらいよ 寅次郎恋歌 |
|
9 |
1972年8月 |
男はつらいよ 柴又慕情 |
|
10 |
1972年12月 |
男はつらいよ 寅次郎夢枕 |
|
11 |
1973年8月 |
||
12 |
1973年12月 |
男はつらいよ 私の寅さん |
|
13 |
1974年8月 |
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ |
|
14 |
1974年12月 |
男はつらいよ 寅次郎子守唄 |
十朱幸代 |
15 |
1975年8月 |
男はつらいよ 寅次郎相合い傘 |
|
16 |
1975年12月 |
男はつらいよ 葛飾立志篇 |
|
17 |
1976年7月 |
男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け |
|
18 |
1976年12月 |
男はつらいよ 寅次郎純情詩集 |
|
19 |
1977年8月 |
男はつらいよ 寅次郎と殿様 |
|
20 |
1977年12月 |
男はつらいよ 寅次郎頑張れ! |
|
21 |
1978年8月 |
男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく |
|
22 |
1978年12月 |
男はつらいよ 噂の寅次郎 |
|
23 |
1979年8月 |
男はつらいよ 翔んでる寅次郎 |
|
24 |
1979年12月 |
男はつらいよ 寅次郎春の夢 |
|
25 |
1980年8月 |
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 |
|
26 |
1980年12月 |
男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 |
|
27 |
1981年8月 |
男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 |
|
28 |
1981年12月 |
||
29 |
1982年8月 |
男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 |
|
30 |
1982年12月 |
男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 |
田中裕子 |
31 |
1983年8月 |
男はつらいよ 旅と女と寅次郎 |
|
32 |
1983年12月 |
男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 |
|
33 |
1984年8月 |
||
34 |
1984年12月 |
男はつらいよ 寅次郎真実一路 |
|
35 |
1985年8月 |
男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 |
|
36 |
1985年12月 |
男はつらいよ 柴又より愛をこめて |
|
37 |
1986年12月 |
男はつらいよ 幸福の青い鳥 |
|
38 |
1987年8月 |
男はつらいよ 知床慕情 |
|
39 |
1987年12月 |
||
40 |
1988年12月 |
男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 |
|
41 |
1989年8月 |
男はつらいよ 寅次郎心の旅路 |
|
42 |
1989年12月 |
男はつらいよ ぼくの伯父さん |
|
43 |
1990年12月 |
男はつらいよ 寅次郎の休日 |
|
44 |
1991年12月 |
男はつらいよ 寅次郎の告白 |
|
45 |
1992年12月 |
男はつらいよ 寅次郎の青春 |
|
46 |
1993年12月 |
男はつらいよ 寅次郎の縁談 |
|
47 |
1994年12月 |
男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 |
かたせ梨乃 |
48 |
1995年12月 |
男はつらいよ 寅次郎紅の花 |
|
特別編 |
1997年12月 |
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇 |