花鳥風月・季節とともに暮らす喜怒哀楽365日

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8月30日のマッカーサー進駐記念日に因んで 「戦後の民主的平和国家日本の基礎を築きあげたのはダグラス・マッカーサー」

8月30日はマッカーサー進駐記念日です。

 

連合国日本占領軍最高司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に 1945年8月30日到着した。

 

ダグラス・マッカーサー
ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカの軍人、陸軍元帥。連合国軍最高司令官総司令部を務めた。コーンパイプがトレードマークであった。

 

日本の厚木基地に降り立ったマッカーサーは、東京湾に停泊する戦艦ミズーリにて行われた降伏文書の調印式にアメリカ代表として参加。

 

1951年4月11日まで連合国軍最高司令官として日本占領に当たった。

敗戦直後の日本は深刻な食糧難で、餓死者が出始めていましたが、マッカーサーは本国政府の大統領とケンカして日本への食糧供給を強行。南氷洋捕鯨マッカーサーの特別許可で米軍用の重油の無償給付を受けて再開。捕獲した鯨肉はGHQの指令で大部分がまず学童給食にあてられました。

 

終戦後も北方領土の侵略を続けたソ連(ロシア)は北海道を要求、トルーマン大統領に拒否された後も上陸作戦を準備。それを知ったマッカーサーは米軍憲兵隊にソ連占領軍代表テレヴィヤンコ中将を拘束させ(専用車のスピード違反という言いがかりで)、関東に配備する予定だった米軍空挺部隊を北海道へ緊急空輸、それでソ連はやっと諦めた。

 

マッカーサーとGHQは、戦後の五大改革と言われる改革を日本政府に命じ、日本の民主化軍国主義の排除を推し進めた。また財閥解体や農地改革など経済や社会制度の近代化も進め、経済体制や税制についても改革を進めた。また日本国憲法の制定もマッカーサーの指揮下で進められており、戦後日本の基礎を築きあげたと言っても過言では無いだろう。


今日、平和で豊かで自由な生活をおう歌できるのもマッカーサー様のおかげですと感謝すべきかも知れない。


◆略歴
アーカンソー州出身。ウエストポイント陸軍士官学校卒。
トレードマークはコーンパイプ。身長: 183 cm
ダグラス・マッカーサーは日本に多大なる影響を与えた人物です。
第一次大戦に参加し,陸軍士官学校長,陸軍参謀総長を歴任。
1941年極東軍司令官となり,太平洋戦争ではマニラ防衛戦,レイテ島上陸作戦などを指揮。
1944年元帥。昭和20年連合国最高司令官として日本に進駐。総司令部(GHQ)を東京に設置し,日本の非軍事化と民主化をすすめた。朝鮮戦争の際,中国領への戦線の拡大を主張してトルーマン大統領に解任された。
1964年4月5日死去。84歳。

国際基督教大学(ICU)創設
国際基督教大学 (ICU) の創設にあたり、同大学の財団における名誉理事長として、米国での募金運動に尽力した。
●原爆投下について
マッカーサーは、広島長崎への原爆投下を批判している。元帥たる自身への相談なく行われた上、日本はソ連へ和平仲介を打診した1945年6月の時点で抗戦の意思がなく、戦略的に無用であると考えたためである。逆に戦略上の必要性があれば使うべきだと考えており、朝鮮戦争の際には原爆投下を立案したために司令官を解任されている。

☆彡マッカーサー語録
●「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
●「軍人が国家に対してねだるようなことはしてはならない」
●「日本人は戦争以来現代史上で最も偉大な改心を経験している」
●「生きるにふさわしい者とは、死を恐れない者である」
●「この世に安全などない。ただ機会があるのみだ」
●「日本は自衛戦争をしたのです」。
●「勝利する意志なくして戦争に突入するのは、致命的である」

●「戦争の究極の目的は勝つことであり決断を先延ばしにすることではない。戦いにおいては、代わりに勝利を収めてくれる代理人はいない」

●日本人は「12歳」発言
民主主義の成熟度について「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」と述べた。

 

マッカーサーと「青春の詩」
二次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に「青春」という英文の詩が掛けられていた。
マッカーサー元帥は、友人のJohn W.Lewis氏(コーネル大学教授)よりこの詩を贈られ、座右の銘として何時も執務室に飾っていた。
この詩を、ある日本人(岡田義夫氏説が有力:明24年埼玉県生れ元「東京毛織OB」)が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。これが後に松下幸之助氏の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になった。
 又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用した。

 

■サミュエル・ウルマン  Samuel  Ullman の詩「 Youth 青春」について
青春  岡田 義夫 訳 
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く に老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。  
 
要約 「青春とは、心の若さである」