6月30日はアインシュタイン記念日「私は天才ではない。 ただ人よりも長い時間、 問題と向き合うように しているだけである。」「私は孤独な旅人です。」
『アインシュタイン記念日』 :
1905(明治38)年のこの日、当時、スイス連邦特許局の無名の技師だった「アインシュタイン」が「相対性理論」の最初の論文となる「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌「アナーレン・デル・フィジーク」に発表した記念日です。
★アインシュタイン[生]1879.3.14. ドイツ,ウルム[没]1955.4.18. アメリカ合衆国,ニュージャージー,プリンストン
アインシュタインはドイツ出身の理論物理学者。チューリヒのスイス連邦工科大学に学ぶ。
ベルンの特許局技師を経て,プラハ大学,スイス連邦工科大学,ベルリン大学で教授を歴任したが,1933年ナチス政権のドイツを逃れてアメリカ合衆国に渡り,プリンストン高等研究所で研究生活を送った。
1905年にチューリヒ大学に学位論文を提出する一方,ブラウン運動の理論的解明,光量子仮説(→光電効果)、特殊相対性理論,質量とエネルギーの等価性の、それぞれに関する四つの論文を次々と発表。
いずれも物理学史上画期的なものであった。
1916年には一般相対性理論を発表して,太陽のそばを通る光線が屈曲することを予測し、これは 1919年の皆既日食の際,アーサー・スタンレー・エディントンの観測により確かめられた。さらに万有引力と電磁気力を包含する統一場理論の構築に努めた。
量子統計力学にも多くの業績を上げたが、量子力学の発展につれて主流を占めたニールス・ボーアらのコペンハーゲン解釈には最後まで反対し続けた(→EPRパラドックス)。
熱烈な平和主義者であり、ユダヤ人の同胞のためにも献身的な努力を惜しまなかった。第2次世界大戦に際しては、ナチスの脅威に対抗するためにアメリカのフランクリン・D.ルーズベルト大統領に原子爆弾の開発を勧告したが(→マンハッタン計画、戦後は核戦争の危険性を除去するよう熱心に訴えた。
1921年ノーベル物理学賞受賞。
☆彡アインシュタインの名言
人生における成功をA、
仕事をX、遊びをY、
口を閉じることをZすると、
A=X+Y+Zが成立する。
学べば学ぶほど、
自分がどれだけ無知であるかを
思い知らされる。
自分の無知に気付けば気付くほど、
よりいっそう学びたくなる。
私は天才ではない。
ただ人よりも長い時間、
問題と向き合うように
しているだけである。
過去から学び、
今日のために生き、
未来に対して希望を持つ。
大切なことは、
何も疑問を持たない状態に、
陥らないようにすることである。
人生には
たった二つの生き方があるだけだ。
一つは奇跡などないかのような生き方、
もうひとつは、まるですべてが、
奇跡であるかのような生き方だ。
われわれが進もうとしている道が、
正しいかどうかを、
神は前もって教えてはくれない。
知性は、方法や道具に対しては、
鋭い鑑識眼を持っていますが、
目的や価値については盲目です。
学校で学んだことを、
一切忘れてしまった時に
なお残っているもの、
それこそ教育だ。
無限なものは二つあります。
宇宙と人間の愚かさ。
前者については断言できませんが。
常識とは十八歳までに身につけた、
偏見のコレクションのことをいう。
手段は完璧で、
目的は混乱している。
というのが、
私の見た現代の特長だ。
私は孤独な旅人です。