花鳥風月・季節とともに暮らす喜怒哀楽365日

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11月3日の文化の日に寄せて。 博物館や美術館が無料?

文化の日(ぶんかのひ)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は11月3日。

1948年に「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として国民の祝日に定められました。

・文化を称える日
1946年に、平和主義・国民主権基本的人権を宣言した新憲法に基づき、この日を記念日にしました。現在でも文化の日には文化を称える行事として、皇居で文化勲章の授与式が行われます。また文化の日を中心に、文化庁主催による芸術祭が開催されています。

・新しい祝日
文化の日には、日本において文化の発展に功労のあった人々に文化勲章が授与され、また文化功労者および各種褒章の受賞者の伝達式などが行われます。 文化勲章は1937年に制定され、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)などに表彰式が行われてきましたが、戦後の1948年以降、毎年11月3日の文化の日に贈られています。

 

●歴史
文化の日は、国民の祝日に関する法律祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。

1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法で「文化の日」と定められた。日本国憲法は、公布から半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、5月3日も憲法記念日として国民の祝日となっている。

休日としては、1873年(明治6年)に公布された年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官布告第344号)以降1911年(明治44年)までは天長節、1927年(昭和2年)に改正された休日ニ関スル件(昭和2年3月4日勅令第25号)以降1947年(昭和22年)までは明治節として、明治天皇の誕生日による休日となっていた。

文化の日は上記の経緯と関係なく定められたということになっているが、当時の国会答弁や憲法制定スケジュールの変遷をみると、明治節憲法公布の日をあわせたとも考えられる。

一方、祝日法制定当時、参議院文化委員長として祝日法制定の際中心的役割を担った山本勇造が政界引退後に書いた当時の回顧録「文化の日ができるまで」には明治節に関する記述は一切ない。山本によれば、元々、憲法発布は11月1日の予定であったが、施行日がメーデーと重なるという理由で直前に11月3日に変更されたのだという。

山本ら参議院側は11月3日を憲法記念日とすることを強硬に主張したが、GHQ側が、11月3日だけは絶対にだめだと主張し、衆議院が5月3日を憲法記念日とすることに同意してしまい、参議院側が孤立する事態になった。そのとき突然GHQ側から、憲法記念日という名でない記念日とするなら何という名がいいか、という話を持ち出してきたという。

 

●「明治の日」制定へ動き
 2018年に明治維新から150年を迎えるのを前に、祝日法を改正して11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改めようとする動きが、保守系の市民団体や国会議員を中心に本格化している。戦前の「明治節」の復活を意図しており、識者からは「文化の日憲法記念日と一対のもので、名称変更は歴史に逆行する」との批判もある。


●行事
文化勲章の授与式開催
皇居で文化勲章の親授式が行われる。

11月3日、皇居では文化勲章の授与式が行われます。授与式では「国家又は公共に対し功労のある方、社会の各分野における優れた行いのある方などを表彰するもの」として、勲章及び褒章があります。文化は永遠であるべきとの意向で作られた常緑樹の橘を模した勲章と、褒章として終身年金(350万円)が贈られます。
文化勲章の受賞を目指して頑張る事も、美術館・劇場に足を運んだり、実際に何か創作してみたりする事も、人生を豊かに過ごすための手段の一つかもしれませんね。

海上自衛隊で、基地・一般港湾等に停泊している自衛艦において、満艦飾が行われる。

文化の日を中心に、文化庁主催による芸術祭が開催される。

・博物館や美術館の中には、入館料を無料にしたり、様々な催し物を開催する所もある。

日本武道館で全日本剣道選手権大会が開催され、NHK総合テレビジョンで生放送される。

また、この日は晴天になる確率が高く、「晴れの特異日」として有名である。

※11月3日(祝) 文化の日に無料となるイベント博物館がいっぱい


文化勲章(ぶんかくんしょう)は、科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者に授与される日本の勲章。当時の内閣総理大臣廣田弘毅の発案により、1937年の文化勲章令(昭和12年2月11日勅令第9号)を以て制定された。


●授与
親授式が毎年11月3日の文化の日に皇居宮殿松の間で行われ、天皇から直接授与(親授)される。
1997年(平成9年)から現行の天皇親授に切り替えられたが、それまでは宮中で天皇臨席のもとに内閣総理大臣が勲記と勲章を手交する伝達式の形式で行われていた。そのため、以前は同じく宮中伝達式により授与される旧勲二等と同位に位置づけられていたが、現在では同じく天皇親授により授与される大綬章(旧勲一等)と同位に位置づけられている


文化功労者との関係
文化勲章には金品等の副賞は伴わない。これは日本国憲法第14条の規定(勲章への特権付与の禁止)によるものであるが、文化の発展向上への貢献者に報いたいとの意図により、文化勲章とは別制度として1951年(昭和26年)に文化功労者顕彰制度が創設され、前年度までの文化勲章受章者で存命者を一斉に文化功労者として顕彰するとともに、以後も文化勲章受章者は同時に文化功労者でもあるように運用することとした。これにより、文化勲章受章者は、文化功労者年金法に基づく終身年金(現在は年額350万円)が支給される。

制度上は別のものであるとの制度設計であっても、実際の運用上において文化勲章受章者と文化功労者とを完全に同一にすると憲法の規定に抵触するおそれがあるため、文化勲章受章者とは別に、文化勲章受章者以外にも文化功労者として顕彰する者を選定する運用が行われてきた。1979年(昭和54年)度以降は、文化勲章受章者は原則として前年度までに文化功労者として顕彰を受けた者の中から選考するように改められた。


●2016年(平成28年度)文化勲章受賞者

大隅良典(分子細胞生物学、ノーベル賞受賞者
草間彌生(前衛美術)
平岩弓枝(小説)
船村徹(作曲)
中野三敏(日本近世文学)
太田朋子(集団遺伝学)

 

★歴代文化勲章受章者一覧
長岡半太郎(帝国学士院院長、物理学) 昭和12年4月28日
本多光太郎(東北帝国大学総長、金属物理学) 昭和12年4月28日
木村栄(帝国学士院会員、地球物理学) 昭和12年4月28日
佐佐木信綱(帝国学士院会員、和歌・和歌史・歌学史) 昭和12年4月28日
幸田成行(幸田露伴、帝国学士院会員、文学) 昭和12年4月28日
岡田三郎助(帝国美術院会員、洋画) 昭和12年4月28日
藤島武二(帝国美術院会員、洋画) 昭和12年4月28日
竹内恒吉(竹内栖鳳、帝国美術院会員、日本画) 昭和12年4月28日
横山秀麿(横山大観、帝国美術院会員、日本画) 昭和12年4月28日
高木貞治(東京帝国大学名誉教授、数学) 昭和15年11月10日
西田幾太郎(京都帝国大学名誉教授、哲学) 昭和15年11月10日
川合芳三郎(川合玉堂、帝国美術院会員、日本画) 昭和15年11月10日
佐々木隆興(帝国学士院会員、生化学・病理学) 昭和15年11月10日
伊東忠太(東京帝国大学名誉教授、建築学) 昭和18年4月29日
鈴木梅太郎(東京帝国大学名誉教授、農芸化学) 昭和18年4月29日
朝比奈泰彦(東京帝国大学名誉教授、薬学・植物化学) 昭和18年4月29日
湯川秀樹(京都大学名誉教授、ノーベル物理学賞受賞者、原子物理学) 昭和18年4月29日
徳富猪一郎(徳富蘇峰貴族院議員、歴史・政治評論) 昭和18年4月29日
三宅雄二郎(三宅雪嶺、帝国芸術院会員、社会評論) 昭和18年4月29日
和田英作(東京美術学校名誉教授、洋画) 昭和18年4月29日
田中館愛橘(貴族院議員、地球物理学・航空学) 昭和19年4月29日
岡部金治郎(大阪大学名誉教授、電気工学) 昭和19年4月29日
志賀潔(京城帝国大学総長、細菌学) 昭和19年4月29日
稲田龍吉(東京帝国大学名誉教授、細菌学) 昭和19年4月29日
狩野直喜(京都帝国大学名誉教授、中国文学) 昭和19年4月29日
高楠順次郎(東京帝国大学名誉教授、インド哲学) 昭和19年4月29日
中田薫(貴族院議員、法制史・日本法制史) 昭和21年2月11日
宮部金吾(北海道帝国大学名誉教授、植物学) 昭和21年2月11日
俵国一(東京帝国大学名誉教授、金属学) 昭和21年2月11日
仁科芳雄(日本学術会議副議長、原子物理学) 昭和21年2月11日
梅若万三郎(帝国芸術院会員、能楽) 昭和21年2月11日
岩波茂雄(貴族院議員、出版) 昭和21年2月11日
木原均(京都大学名誉教授、遺伝学) 昭和23年11月2日
長谷川万次郎(長谷川如是閑貴族院議員、評論) 昭和23年11月2日
安田新三郎(安田靱彦、東京芸術大学名誉教授、日本画) 昭和23年11月2日
朝倉文夫(帝国美術院会員、彫塑) 昭和23年11月2日
上村津祢(上村松園、帝国芸術院会員、日本画) 昭和23年11月2日
寺島幸三(尾上菊五郎、帝国芸術院会員、歌舞伎) 昭和24年7月10日
津田左右吉(早稲田大学名誉教授、東洋哲学・日本古代史) 昭和24年11月3日
鈴木貞太郎(鈴木大拙大谷大学教授、仏教学) 昭和24年11月3日
三浦謹之助(東京帝国大学名誉教授、内科学) 昭和24年11月3日
岡田武松(中央気象台長、気象学) 昭和24年11月3日
真島利行(東北帝国大学名誉教授、化学) 昭和24年11月3日
谷崎潤一郎(帝国芸術院会員、文学) 昭和24年11月3日
志賀直哉(帝国芸術院会員、文学) 昭和24年11月3日
牧野英一(貴族院議員、刑法・法理学) 昭和25年11月3日
田辺元(京都大学名誉教授、哲学) 昭和25年11月3日
藤井健次郎(東京大学名誉教授、植物学) 昭和25年11月3日
三島徳七(東京大学名誉教授、金属学) 昭和25年11月3日
小林茂(小林古径東京芸術大学教授、日本画) 昭和25年11月3日
土井林吉(土井晩翠、帝国芸術院会員、詩) 昭和25年11月3日
正宗忠夫(正宗白鳥、帝国芸術院会員、文学) 昭和25年11月3日
柳田国男(枢密顧問官、民俗学) 昭和26年11月3日
光田健輔(国立療養所長島愛生園名誉園長、癩医学) 昭和26年11月3日
西川正治(東京帝国大学名誉教授、原子物理学) 昭和26年11月3日
菊池正士(東京理科大学長、原子物理学) 昭和26年11月3日
斉藤茂吉(帝国芸術院会員、短歌) 昭和26年11月3日
武者小路実篤(貴族院議員、文学) 昭和26年11月3日
波野辰次郎(中村吉右衛門日本芸術院会員) 昭和26年11月3日
梅原龍三郎(東京芸術大学名誉教授、洋画) 昭和27年11月3日
熊谷岱蔵(東北大学名誉教授、結核医学) 昭和27年11月3日
佐々木惣一(貴族院議員、憲法学・行政学) 昭和27年11月3日
辻善之助(東京大学名誉教授、日本史・仏教学) 昭和27年11月3日
朝永振一郎(東京教育大学長、ノーベル物理学賞受賞者、原子物理学) 昭和27年11月3日
永井壮吉(永井荷風日本芸術院会員、文学) 昭和27年11月3日
安井曽太郎(東京芸術大学教授、洋画) 昭和27年11月3日
板谷嘉七(板谷波山、帝国芸術院会員、陶芸) 昭和28年11月3日
宇井伯寿(駒沢大学総長、インド哲学) 昭和28年11月3日
香取秀治郎(香取秀真、帝国芸術院会員、鋳金) 昭和28年11月3日
喜多六平太(帝国芸術院会員、謡曲) 昭和28年11月3日
羽田亨(京都帝国大学総長、東洋史) 昭和28年11月3日
矢部長克(東北大学名誉教授、地質学・古生物学) 昭和28年11月3日
勝沼精蔵(名古屋大学長、血液学) 昭和29年11月3日
鏑木健一(鏑木清方、帝国芸術院会員、日本画) 昭和29年11月3日
金田一京助(日本学士院会員、アイヌ文学) 昭和29年11月3日
高浜清(高浜虚子、帝国芸術院会員、俳句) 昭和29年11月3日
萩原雄祐(東京大学名誉教授、天文学) 昭和29年11月3日
大谷竹次郎(松竹株式会社会長、演劇事業) 昭和30年11月3日
杉本金太郎(稀音家浄観日本芸術院会員、長唄) 昭和30年11月3日
平沼亮三(貴族院議員、体育) 昭和30年11月3日
二木謙三(東京帝国大学名誉教授、伝染病学) 昭和30年11月3日
前田廉造(前田青邨東京芸術大学教授、日本画) 昭和30年11月3日
増本量(東北大学名誉教授、金属学) 昭和30年11月3日
和辻哲郎(日本学士院会員、倫理学) 昭和30年11月3日
安藤広太郎(内閣顧問、農学) 昭和31年11月3日
坂本繁二郎(洋画) 昭和31年11月3日
新村出(京都大学名誉教授、言語学国語学) 昭和31年11月3日
古畑稲基(東京大学名誉教授、法医学) 昭和31年11月3日
村上武次郎(東北大学名誉教授、金属学) 昭和31年11月3日
八木秀次(大阪大学総長、電気工学) 昭和31年11月3日
山田耕作(帝国芸術院会員、作曲) 昭和31年11月3日
牧野富太郎(日本学士院会員、植物学) 昭和32年1月18日
緒方知三郎(東京帝国大学名誉教授、病理学) 昭和32年11月3日
久保田万太郎(日本芸術院会員、小説・劇作) 昭和32年11月3日
小平邦彦(東京大学名誉教授、フィールズ賞受賞者、数学) 昭和32年11月3日
西山夘三郎(西山翠嶂、帝国芸術院会員、日本画) 昭和32年11月3日
山田孝雄(貴族院議員、国語学) 昭和32年11月3日
吉住小三郎(日本芸術院会員、長唄) 昭和32年11月3日
北村西望(帝国芸術院会員、彫塑) 昭和33年11月3日
近藤平三郎(陸軍薬剤監、東京大学名誉教授、薬学・薬化学) 昭和33年11月3日
野副鉄男(東北大学名誉教授、有機化学) 昭和33年11月3日
松林篤(松林桂月、帝国芸術院会員、日本画) 昭和33年11月3日
川端昇太郎(川端龍子満洲国新京美術院長、日本画) 昭和34年11月3日
小泉信三(慶応義塾大学塾長、経済学) 昭和34年11月3日
丹羽保次郎(東京電機大学長、電気工学) 昭和34年11月3日
山内英夫(里見*、日本芸術院会員、小説) 昭和34年11月3日
吉田富三(日本学術会議副議長、病理学) 昭和34年11月3日
岡潔(奈良女子大学教授、数学) 昭和35年11月3日
佐藤春夫(日本芸術院会員、小説・詩) 昭和35年11月3日
田中耕太郎(最高裁判所長官、商法・法哲学) 昭和35年11月3日
吉川英次(吉川英治、小説) 昭和35年11月3日
川端康成(日本芸術院会員、ノーベル文学賞受賞者、小説) 昭和36年11月3日
鈴木虎雄(京都帝国大学名誉教授、中国文学・漢詩・和歌) 昭和36年11月3日
富本憲吉(帝国美術院会員、陶芸) 昭和36年11月3日
堂本三之助(堂本印象、日本芸術院会員、日本画) 昭和36年11月3日
福田平八郎(日本芸術院会員、日本画) 昭和36年11月3日
水島三一郎(東京大学名誉教授、化学) 昭和36年11月3日
梅沢浜夫(東京大学名誉教授、微生物学) 昭和37年11月3日
奥村義三(奥村土牛、帝国芸術院会員、日本画) 昭和37年11月3日
桑田義備(日本学士院会員、植物細胞学) 昭和37年11月3日
中村恒吉(中村岳陵、帝国芸術院会員、日本画) 昭和37年11月3日
平櫛倬太郎(平櫛田中、帝国芸術院会員、木彫) 昭和37年11月3日
久野寧(名古屋大学名誉教授、生理学) 昭和38年11月3日
古賀逸策(東京大学名誉教授、電気工学) 昭和38年11月3日
茅誠司(東京大学名誉教授、物理学) 昭和39年11月3日
野尻清彦(大仏次郎、内閣参与、小説) 昭和39年11月3日
藪田貞治郎(東京大学名誉教授、農芸化学) 昭和39年11月3日
吉田五十八(東京芸術大学名誉教授、建築) 昭和39年11月3日
我妻栄(貴族院議員、民法) 昭和39年11月3日
赤堀四郎(大阪大学長、生物有機学) 昭和40年11月3日
小糸源太郎(小絲源太郎、日本芸術院会員、洋画) 昭和40年11月3日
諸橋轍次(東京文理科大学名誉教授、漢文学) 昭和40年11月3日
山口三郎(山口蓬春、日本芸術院会員、日本画) 昭和40年11月3日
山本勇造(山本有三貴族院議員、小説) 昭和40年11月3日
井伏満寿夫(井伏鱒二日本芸術院会員、小説) 昭和41年11月3日
徳岡時次郎(徳岡神泉日本芸術院会員、日本画) 昭和41年11月3日
仁田勇(大阪大学名誉教授、結晶化学) 昭和41年11月3日
小林秀雄(日本芸術院会員、文芸評論) 昭和42年11月3日
坂口謹一郎(東京大学名誉教授、微生物学酵素学) 昭和42年11月3日
林武臣(林武、東京芸術大学名誉教授、洋画) 昭和42年11月3日
村野藤吉(村野藤吾日本芸術院会員、建築) 昭和42年11月3日
山県昌夫(東京大学名誉教授、造船工学) 昭和42年11月3日
堅山熊次(堅山南風、日本芸術院会員、日本画) 昭和43年11月3日
黒川利雄(東北大学長、内科学) 昭和43年11月3日
鈴木雅次(内務技監、土木工学) 昭和43年11月3日
浜田象二(浜田庄司、財団法人日本民芸館長、陶芸) 昭和43年11月3日
岩田豊雄(獅子文六日本芸術院会員、小説・戯曲) 昭和44年11月3日
落合英二(東京大学名誉教授、薬化学) 昭和44年11月3日
正田健次郎(大阪大学長、数学) 昭和44年11月3日
山新吉(東山魁夷日本芸術院会員、日本画) 昭和44年11月3日
冲中重雄(東京大学名誉教授、内科学・神経学) 昭和45年11月3日
棟方志功(日本版画院名誉会員、版画) 昭和45年11月3日
赤木正雄(貴族院議員、砂防計画学) 昭和46年11月3日
荒川豊蔵(日本工芸会正会員、陶芸) 昭和46年11月3日
野上ヤエ(野上弥生子、帝国芸術院会員、小説) 昭和46年11月3日
安井琢磨(東北大学名誉教授、近代経済学) 昭和46年11月3日
内田祥三(東京大学総長、建築学・防災工学) 昭和47年11月3日
小野清一郎(東京大学名誉教授、刑事法学) 昭和47年11月3日
岡鹿之助(日本芸術院会員、洋画) 昭和47年11月3日
早石修(海軍軍医大尉、大阪医科大学長、生化学) 昭和47年11月3日
石原謙(東京女子大学長、宗教史) 昭和48年11月3日
勝木保次(東京医科薬科大学長、生理学) 昭和48年11月3日
久保亮五(東京大学名誉教授、統計力学) 昭和48年11月3日
瀬藤象二(東京大学名誉教授、電気工学) 昭和48年11月3日
谷口吉郎(東京工業大学名誉教授、建築) 昭和48年11月3日
石坂公成(京都大学名誉教授、免疫学) 昭和49年11月3日
江崎玲於奈(筑波大学長、ノーベル物理学賞受賞者、電子工学) 昭和49年11月3日
杉山寧(日本芸術院会員、日本画) 昭和49年11月3日
永田武(東京大学名誉教授、地球物理学) 昭和49年11月3日
橋本明治(日本芸術院会員、日本画) 昭和49年11月3日
江橋節郎(東京大学名誉教授、薬理学) 昭和50年11月3日
小山敬三(日本芸術院会員、洋画) 昭和50年11月3日
田崎広次(田崎広助、日本芸術院会員、洋画) 昭和50年11月3日
中川一政(東京都名誉都民、洋画) 昭和50年11月3日
広中平祐(京都大学教授、フィールズ賞受賞者、数学) 昭和50年11月3日
井上靖(日本芸術院会員、小説) 昭和51年11月3日
小野英吉(小野竹喬、帝国芸術院会員、日本画) 昭和51年11月3日
木村資生(日本学士院会員、遺伝学) 昭和51年11月3日
松田権六(東京芸術大学名誉教授、漆芸) 昭和51年11月3日
森嶋通夫(大阪大学教授、理論経済学) 昭和51年11月3日
桜田一郎(京都大学名誉教授、応用化学・高分子化学) 昭和52年11月3日
田宮博(東京大学名誉教授、細胞生理化学) 昭和52年11月3日
中村元(東京大学名誉教授、インド哲学) 昭和52年11月3日
丹羽文雄(日本芸術院会員、小説) 昭和52年11月3日
山本正義(山本丘人女子美術専門学校教授、日本画) 昭和52年11月3日
尾崎一雄(日本芸術院会員、小説) 昭和53年11月3日
楠部弥一(楠部弥弌、日本芸術院会員、陶芸) 昭和53年11月3日
杉村隆(国立癌センター総長、癌生化学) 昭和53年11月3日
田中美知太郎(京都大学名誉教授、哲学・西洋古典学) 昭和53年11月3日
南部陽一郎(シカゴ大学主任教授、ノーベル物理学賞受賞者、理論物理学) 昭和53年11月3日
今西錦司(岐阜大学長、霊長類学) 昭和54年11月3日
河村藤雄(中村歌右衛門日本芸術院会員、歌舞伎) 昭和54年11月3日
沢田寅吉(沢田政広、日本芸術院会員、木彫) 昭和54年11月3日
高橋誠一郎(文部大臣、経済学史) 昭和54年11月3日
堀口大学(日本芸術院会員、詩・翻訳) 昭和54年11月3日
小倉遊亀(日本芸術院会員、日本画) 昭和55年11月3日
小谷正雄(東京理科大学長、分子生理学・生物物理学) 昭和55年11月3日
丹下健三(東京大学名誉教授、建築) 昭和55年11月3日
東畑精一(東京大学名誉教授、農業経済学) 昭和55年11月3日
波野聖司(中村勘三郎日本芸術院会員、歌舞伎) 昭和55年11月3日
高柳健次郎(放送技術振興協会理事長、電子工学・テレビジョン工学) 昭和56年11月3日
永井龍男(日本芸術院会員、小説) 昭和56年11月3日
藤間順次郎(松本白鸚日本芸術院会員、歌舞伎) 昭和56年11月3日
山口米次郎(山口華楊、日本芸術院会員、日本画) 昭和56年11月3日
横田喜三郎(最高裁判所長官国際法学) 昭和56年11月3日
福井謙一(京都大学名誉教授、ノーベル化学賞受賞者、工業化学) 昭和56年11月3日
坂本太郎(東京大学名誉教授、日本史学) 昭和57年11月3日
高山辰雄(日本芸術院会員、日本画) 昭和57年11月3日
津田恭介(東京大学名誉教授、薬学・有機化学) 昭和57年11月3日
藤間秀雄(藤間勘十郎日本芸術院会員、邦舞) 昭和57年11月3日
吉識雅夫(東京理科大学長、船舶工学) 昭和57年11月3日
山本健吉(日本芸術院会員、文芸評論) 昭和58年11月3日
牛島憲之(日本芸術院会員、洋画) 昭和58年11月3日
小礒良平(小磯良平東京芸術大学名誉教授、洋画) 昭和58年11月3日
服部四郎(東京大学名誉教授、言語学) 昭和58年11月3日
武藤清(東京大学名誉教授、建築構造学) 昭和58年11月3日
上村信太郎(上村松篁、京都市美術大学名誉教授、日本画) 昭和59年11月3日
奥田厳三(奥田元栄、日本芸術院会員、日本画) 昭和59年11月3日
貝塚茂樹(京都大学名誉教授、東洋史学) 昭和59年11月3日
高橋信次(名古屋大学名誉教授、放射線医学) 昭和59年11月3日
利根川進(マサチューセッツ工科大学教授、ノーベル医学・生理学賞受賞者、分子生物学) 昭和59年11月3日
円地富美(円地文子日本芸術院会員、小説) 昭和60年11月3日
黒沢明(映画監督、映画) 昭和60年11月3日
良守峯(東京大学名誉教授、ドイツ語学・ドイツ文学) 昭和60年11月3日
西川寧(東京教育大学教授、書) 昭和60年11月3日
和達清夫(日本学士院院長、地球物理学) 昭和60年11月3日
荻須高徳(洋画) 昭和61年10月14日
岡義武(東京大学名誉教授、政治史) 昭和61年11月3日
土屋文明(日本芸術院会員、短歌) 昭和61年11月3日
名取礼二(東京慈恵医科大学長、筋生理学) 昭和61年11月3日
林忠四郎(京都大学名誉教授、宇宙物理学) 昭和61年11月3日
池田昇一(池田遥邨、日本芸術院会員、日本画) 昭和62年11月3日
岡田善雄(大阪大学教授、細胞遺伝学) 昭和62年11月3日
草野心平(日本芸術院会員、詩) 昭和62年11月3日
桑原武夫(京都大学名誉教授、仏文学・評論) 昭和62年11月3日
藤間豊(尾上松緑日本芸術院会員、歌舞伎) 昭和62年11月3日
今井功(東京大学教授、流体力学) 昭和63年11月3日
円鍔勝二(円鍔勝三、多摩美術大学名誉教授、彫刻) 昭和63年11月3日
河盛好蔵(日本芸術院会員、翻訳・評論) 昭和63年11月3日
末永雅雄(関西大学名誉教授、考古学) 昭和63年11月3日
西塚泰美(神戸大学教授、生化学) 昭和63年11月3日
片岡球子(日本芸術院会員、日本画) 平成元年11月3日
鈴木竹雄(東京大学名誉教授、商法学) 平成元年11月3日
富永直樹(日本芸術院会員、彫刻) 平成元年11月3日
西沢潤一(東北大学教授、電子工学) 平成元年11月3日
吉井淳二(日本芸術院会員、洋画) 平成元年11月3日
石井良助(東京大学名誉教授、日本法制史) 平成2年11月3日
市古貞次(東京大学名誉教授、国文学) 平成2年11月3日
片山愛子(井上八千代、日本芸術院会員、邦舞) 平成2年11月3日
金子堅蔵(金子鴎亭、日展常務理事、書) 平成2年11月3日
長倉三郎(東京大学名誉教授、物理化学) 平成2年11月3日
猪瀬博(東京大学名誉教授、電子工学) 平成3年11月3日
江上波夫(東京大学名誉教授、アジア考古学) 平成3年11月3日
蓮田修次(蓮田修吾郎東京芸術大学教授、鋳金) 平成3年11月3日
福沢一郎(多摩美術大学名誉教授、洋画) 平成3年11月3日
森繁久弥(日本俳優連合理事長、現代演劇・映画・放送) 平成3年11月3日
青山文雄(青山杉雨、日本芸術院会員、書) 平成4年11月3日
井深大(ソニー株式会社会長、電子技術) 平成4年11月3日
大塚久雄(東京大学名誉教授、西洋経済史) 平成4年11月3日
佐藤実(佐藤太清、日本芸術院会員、日本画) 平成4年11月3日
森野米三(東京大学名誉教授、構造化学) 平成4年11月3日
大隅健一郎(最高裁判所判事、商法・経済法) 平成5年11月3日
小田稔(東京情報大学長、宇宙物理学) 平成5年11月3日
帖佐良行(帖佐美行日本芸術院会員、彫金) 平成5年11月3日
福田定一(司馬遼太郎日本芸術院会員、小説) 平成5年11月3日
森田茂(日本芸術院会員、洋画) 平成5年11月3日
朝比奈隆(大阪音楽大学名誉教授、洋楽・指揮) 平成6年11月3日
岩橋英遠(岩橋永遠、東京芸術大学名誉教授、日本画) 平成6年11月3日
梅棹忠夫(国立民族学博物館名誉教授、民族学) 平成6年11月3日
島秀雄(日本国有鉄道理事技師長、鉄道工学) 平成6年11月3日
満田久輝(京都大学名誉教授、栄養化学・食糧化学) 平成6年11月3日
遠藤周作(日本芸術院会員、小説) 平成7年11月3日
佐治正(佐治賢使、日本芸術院会員、漆工芸) 平成7年11月3日
団藤重光(最高裁判所判事、刑事法学) 平成7年11月3日
花房秀三郎(ロックフェラー大学名誉教授、ウイルス学・腫瘍学) 平成7年11月3日
増田四郎(一橋大学名誉教授、西洋経済史) 平成7年11月3日
浅蔵与作(浅蔵五十吉、日本芸術院会員、陶芸) 平成8年11月3日
伊藤清永(日本芸術院会員、洋画) 平成8年11月3日
伊藤正男(東京大学名誉教授、神経生理学・神経科学) 平成8年11月3日
竹内理三(東京大学名誉教授、日本史学) 平成8年11月3日
森英恵(服飾デザイン) 平成8年11月3日
千宗室(裏千家家元、茶道) 平成9年11月3日
宇沢弘文(東京大学名誉教授、理論経済学) 平成9年11月3日
小柴昌俊(東京大学特別栄誉教授、ノーベル物理学賞受賞者、素粒子実験) 平成9年11月3日
高橋節郎(東京芸術大学名誉教授、漆芸) 平成9年11月3日
向山光昭(東京大学名誉教授、有機合成化学) 平成9年11月3日
芦原義信(東京大学名誉教授、建築) 平成10年11月3日
岸本忠三(大阪大学長、免疫学) 平成10年11月3日
平山郁夫(東京芸術大学名誉教授、日本画) 平成10年11月3日
村上正一(村上三島日本芸術院会員、書) 平成10年11月3日
山本達郎(東京大学名誉教授、東洋史学) 平成10年11月3日
阿川弘之(日本芸術院会員、小説) 平成11年11月3日
秋野ふく(秋野不矩京都市立芸術大学名誉教授、日本画) 平成11年11月3日
伊藤正己(最高裁判所判事、英米法憲法) 平成11年11月3日
梅原猛(国際日本文化研究センター所長、日本文化研究) 平成11年11月3日
田村三郎(東京大学名誉教授、生物有機化学・生物環境生物科学) 平成11年11月3日
石川忠雄(慶應義塾大学名誉教授、現代中国研究) 平成12年11月3日
大久保ふく(大久保婦久子、日本芸術院会員、皮革工芸) 平成12年11月3日
白川英樹(筑波大学名誉教授、ノーベル化学賞受賞者、物質科学) 平成12年11月3日
杉岡正美(杉岡華邨、大阪教育大学名誉教授、書・仮名) 平成12年11月3日
野依良治(名古屋大学教授、ノーベル化学賞受賞者、有機化学) 平成12年11月3日
山田美津(山田五十鈴、俳優、演劇) 平成12年11月3日
井口洋夫(宇宙開発事業団宇宙環境利用研究システム長、分子エレクトロニクス) 平成13年11月3日
豊島久真男(東京大学名誉教授、ウイルス学) 平成13年11月3日
中根千枝(東京大学名誉教授、社会人類学) 平成13年11月3日
守屋正(守屋多々志、日本美術院評議員日本画・古画表現) 平成13年11月3日
淀井敏夫(東京芸術大学名誉教授、彫刻) 平成13年11月3日
小宮隆太郎(東京大学名誉教授、日本学士院会員、国際経済学) 平成14年11月3日
近藤次郎(東京大学名誉教授、日本学術会議会長、航空宇宙工学・応用数学・環境科学・学術振興) 平成14年11月3日
新藤兼登(新藤兼人、映画監督・脚本家、映画) 平成14年11月3日
杉本苑子(作家、小説) 平成14年11月3日
田中耕一(島津製作所田中耕一記念質量分析研究所長、ノーベル化学賞受賞者、質量分析学) 平成14年11月3日
藤田喬平(日本芸術院会員、工芸(ガラス)) 平成14年11月3日
大岡信(日本芸術院会員、詩・評論) 平成15年11月3日
緒方貞子(国際連合難民高等弁務官、政治学・国際活動・国際貢献) 平成15年11月3日
加山又造(東京芸術大学名誉教授、日本画) 平成15年11月3日
西島和彦(東京大学名誉教授、素粒子物理学) 平成15年11月3日
森亘(東京大学長、病理学・科学技術・学術振興) 平成15年11月3日
青木清治(中村雀右衛門日本芸術院会員、歌舞伎) 平成16年11月3日
小林庸浩(小林斗あん、日本芸術院会員、書・篆刻) 平成16年11月3日
白川静(立命館大名誉教授、中国古代文化) 平成16年11月3日
戸塚洋二(高エネルギー加速器研究機構長、宇宙線物理学) 平成16年11月3日
福王寺雄一(福王子法林、日本芸術院会員、日本画) 平成16年11月3日
青木久重(青木龍山日本芸術院会員、陶芸) 平成17年11月3日
斎藤真(東京大学名誉教授、アメリカ政治外交史) 平成17年11月3日
沢田敏男(京都大学名誉教授、農業工学) 平成17年11月3日
日野原重明(聖路加国際病院理事長、内科学・看護教育・医療振興) 平成17年11月3日
村上美津(森光子、俳優、大衆演劇) 平成17年11月3日
荒田吉明(大阪大学名誉教授、高温工学、溶接工学) 平成18年11月3日
大山忠作(日本芸術院会員、日本画) 平成18年11月3日
篠原三代平(一橋大学名誉教授、日本経済論) 平成18年11月3日
瀬戸内晴美(瀬戸内寂聴、作家、小説) 平成18年11月3日
吉田秀和(評論家、音楽評論) 平成18年11月3日
岡田節人(京都大学名誉教授、発生生物学) 平成19年11月3日
茂山七五三(茂山千作日本芸術院会員、狂言) 平成19年11月3日
中西香爾(コロンビア大学名誉教授、有機化学) 平成19年11月3日
中村晉也(中村晋也、日本芸術院会員、彫刻) 平成19年11月3日
三ケ月章(法務大臣東京大学名誉教授、民事訴訟法学、裁判法学) 平成19年11月3日
伊藤清(京都大学名誉教授、数学) 平成20年11月3日
小沢征爾(指揮者、指揮) 平成20年11月3日
小林誠(高エネルギー加速器研究機構名誉教授、ノーベル物理学賞受賞者、素粒子物理学) 平成20年11月3日
下村脩(ボストン大学名誉教授、ノーベル化学賞受賞者、海洋生物学) 平成20年11月3日
田辺聖子(作家、小説) 平成20年11月3日
古橋広之進(日本オリンピック委員会会長、スポーツ) 平成20年11月3日
益川敏英(京都大学名誉教授、ノーベル物理学賞受賞者、素粒子物理学) 平成20年11月3日
飯島澄男(名城大学教授、材料科学) 平成21年11月3日
中川清(桂米朝古典落語) 平成21年11月3日
林宏太郎(坂田藤十郎日本芸術院会員、歌舞伎) 平成21年11月3日
速水融(慶應義塾大学名誉教授、社会経済史・歴史人口学) 平成21年11月3日
日沼頼夫(京都大学名誉教授、ウイルス学) 平成21年11月3日
有馬朗人(文部大臣、東京大学長、原子核物理学・学術振興) 平成22年11月3日
安藤忠雄(東京大学特別栄誉教授、建築) 平成22年11月3日
鈴木章(北海道大学名誉教授、ノーベル化学賞受賞者、有機合成化学) 平成22年11月3日
蜷川幸雄(演出家、演劇) 平成22年11月3日
根岸英一(パデュー大学特別教授、ノーベル化学賞受賞者、有機合成化学) 平成22年11月3日
三宅一生(ファッションデザイナー、服飾デザイン) 平成22年11月3日
脇田晴子(滋賀県立大学名誉教授、日本中世史) 平成22年11月3日
赤崎勇(名城大学教授、ノーベル物理学賞受賞者、半導体電子工学) 平成23年11月3日
奈良年郎(大樋年朗、金沢学院大学副学長、陶芸) 平成23年11月3日
根村才一(丸谷才一、小説家、小説) 平成23年11月3日
三谷太一郎(東京大学名誉教授、日本政治外交史) 平成23年11月3日
柳田充弘(京都大学名誉教授、分子遺伝学・分子生理学) 平成23年11月3日
小田滋(東北大学名誉教授、国際司法裁判所判事、国際法学・国際貢献) 平成24年11月3日
高階秀爾(東京大学名誉教授、大原美術館長、美術評論・文化振興) 平成24年11月3日
松尾敏男(日本美術院理事長、日本画) 平成24年11月3日
山田康之(奈良先端科学技術大学院大学長、植物分子細胞生物学・植物バイオテクノロジー) 平成24年11月3日
山田洋次(日本芸術院会員、映画) 平成24年11月3日
山中伸弥(京都大学教授、ノーベル生物学・医学賞受賞者、幹細胞生物学) 平成24年11月3日
岩崎俊一(東北工業大学理事長、電子工学) 平成25年11月3日
小田剛一(高倉健、俳優、映画) 平成25年11月3日
高木郁太(高木聖鶴、書) 平成25年11月3日
中西進(奈良県立万葉文化館名誉館長、日本文学・比較文学) 平成25年11月3日
本庶佑(京都大学名誉教授、医化学・分子免疫学) 平成25年11月3日
天野浩(名古屋大学教授、ノーベル物理学賞受賞者、電子・電気材料工学) 平成26年11月3日
市川多恵子(河野多恵子、作家、小説) 平成26年11月3日
岸本欣一(岸本住大夫、人形浄瑠璃太夫、人形浄瑠璃文楽) 平成26年11月3日
武豊喜(北九州産業学術推進機構理事長、分子組織化学) 平成26年11月3日
中村修二(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授、ノーベル物理学賞受賞者、半導体工学) 平成26年11月3日
根岸隆(東京大学名誉教授、経済理論・経済学説史) 平成26年11月3日
野見山暁治(洋画家、洋画) 平成26年11月3日
大村智(北里大学特別栄誉教授、ノーベル生理学・医学賞受賞者、天然物有機化学・薬学) 平成27年11月3日
梶田隆章(東京大学宇宙線研究所長、ノーベル物理学賞受賞者、素粒子宇宙線物理学) 平成27年11月3日
塩野宏(東京大学名誉教授、法律学行政法学) 平成27年11月3日
志村ふくみ(染織家、工芸(染織)) 平成27年11月3日
末松安晴(東京工業大学栄誉教授、光通信工学) 平成27年11月3日
仲代元久(仲代達矢、俳優) 平成27年11月3日
中西重忠(京都大学名誉教授、神経科学) 平成27年11月3日

 

2017年用の年賀はがきが1日、全国の郵便局で売り出される 受け付けは12月15日から。投函は同12月25日まで

2017年用の年賀はがきが1日、全国の郵便局などで売り出され、東京・丸の内の東京中央郵便局には午前9時の発売前に多くの人が並んだ。当初の発行枚数は前年より5・5%少ない28億5329万枚で、1983年以来34年ぶりに30億枚を下回った。受け付けは15日からだ。

 丸の内であったイベントにはアイドルグループ嵐の大野智さんと相葉雅紀さんが登場。大野さんは「年賀状は子供の頃のわくわくした気持ちをよみがえらせてくれる」と話した。

 お年玉付き年賀はがきの1等は現金10万円か、旅行や家電などの商品。商品の選択肢は前年の6種類から1万種類以上に増やした。当選確率は100万分の1で昨年と同じという。

 同世代はメールなどでの連絡が多いが「目上の人には手書きの年賀状が喜ばれる」様です。

受け付けは12月15日から。日本郵便は同12月25日 までに投函とうかんするよう呼びかけている。

★私の年賀状作成・送付方法 無料編
①ウェブの無料年賀状素材サイトから年賀はがきにプリントアウトして出す。(郵便局の無料テンプレートもあり)
1:出来上がった無料の年賀状テンプレートの中から、気にいったデザインをダウンロードし、プリンターで裏面印刷する。
余白にハンコを押したり、シールを貼れば、完全オリジナルになります。
2:無料のはがき印刷ソフトで、住所と宛名を打ち込み、表面をプリンターで印刷。

②郵便局備え付け無料の版画・スタンプを利用する。(挨拶分、干支図柄等地域によって5-10種類用意してある。椅子と机も用意してあります。 )

③手製の芋判・版画作成する。(個人的ライブラリー。ごく親しい人)

④メール・ラインで送る。

その他
スマホのアプリ

 

★有料サイト
●年賀状印刷のおたより本舗
●ウェブポ
●年賀状.com

2017年(平成29年)の干支は 酉年(とりどし)です。

2016年11月1日は秋土用の『間日・まび』です。土用の間日って何んのこと? 11月3日は土用の丑の日?

2016年秋土用の入りが10月20日であり、秋土用の明けが11月6日です。

土用の期間は、土を司る土公神(どくしん・どくじん)という神様が支配するといわれ、土を動かしてはいけない、丑の日に大根の種をまいてはいけない、葬送は延期しなければならないなどの禁忌が設けられていました。

今でも、家などを建築する際、土を掘り起こしたりする基礎工事などは土用の期間をはずす方が多いようです。
土用は季節の変わり目ですから、農作業で体調を崩さないようにとの戒めもあると思われます。

しかしそれでは一般的に仕事に支障が出るために、間日が設けられる。この間日には、土公神は文殊菩薩に招かれて天上に行くので、地上にはいなくなるという。鬼の居ぬ間に洗濯という訳で『間日』という日を設け土いじりOKとしたという訳なのです。いわば生活の知恵なのである。

土用の間日とは「土いじりをしてもよい日」と理解しておきましょう。

・鬼の居ぬ間に洗濯
【類語】鬼の留守に豆拾い/鬼の留守に豆を炒る
【英語】When the cat's away the mice will play.(猫がいない時、ねずみが遊ぶ)


★土用(どよう)
土用(どよう)とは、五行に由来する暦の雑節である。1年のうち不連続な4つの期間で、四立(立夏立秋立冬立春)の直前約18日間ずつである。

俗には、夏の土用(立秋直前)を指すことが多く、夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣がある。
各土用の最初の日を土用の入り(どようのいり)と呼ぶ。最後の日は節分である

●歴史
土用を作った陰陽五行説
古来中国から伝わった陰陽五行説では、すべての事象を木・火・土・金・水の5つに分類して世界を考えます。五行説では春は「木気」夏は「火気」秋は「金気」冬は「水気」と割り当てていました。しかし、これでは五行説の重要な構成要素の「土気」がどこにも分類されないことになります。そこで、季節の変わり目である立春立夏立秋立冬の前18日間を「土気」に分類し「土用」と呼ぶようになったようです

五行では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てている。残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼んだ。

五行とは、木行・火行・土行・金行・水行わいい、以下のような季節の象徴となっています。
木行:春
火行:夏
土行:季節の変わり目
金行:秋
水行:冬


●土用にまつわる様々な禁忌
土用には様々な禁忌〔きんき〕があります。例えば土用中に土を犯すことは忌むべきこととされていたため、土いじりをしてはいけない、丑の日に大根の種をまいてはいけない、葬送は延期しなければならないなどの禁忌が設けられていました。

これら土用にまつわる禁忌が生み出された背景には「土用中は季節の変わり目であるために、農作業などの大仕事をすると体調が崩れやすい」などの、先人の戒めが込められているといいます。

土用の間は、土の気が盛んになるとして、動土・穴掘り等の土を犯す作業や殺生が忌まれた。ただし、土用に入る前に着工して土用中も作業を続けることは差し支えないとされた。また「土用の間日(まび)」には土用の障りがないとされた。

五行の性質において、木気は植物のような発育伸長する勢いある傾向、火気は勢いが頂点に達し燃え盛る性質、金気は熱や勢いが衰え凝縮・固化しつつある状態、水気は凝縮しきってエネルギーを秘めつつ静的に留まった状態であり、これらは四季、太陽、植物などの周期変化の観察から象徴化された。土気は土壌におくと種が発芽することの観察から、大きな変化を促し保護する働きと場所の象徴である。

四季にはそれぞれ象徴である木火金水が順当に割り当てられたが、そのままでは季節が変わる際に性質の異なる気が接しギャップが生じる事になる。現実のスムーズな移行にはバッファ的に働き現在から次の季節の気へと変容させる期間があり、ここで土気が活発に働いているとみたのが土用(土の働き)である。この期間は、1年を五行の5等分し、さらに土を四季に配分するため4等分した長さとなる。

 

土用(どよう)とは土旺用事(どおうようじ)の略。 
土用というと夏を思い浮かべる方も多いと思いますが、土用は各季節にあります。
陰陽五行説で、春・夏・秋・冬をそれぞれ木・火・金・水とし、(余った?)土を各季節の終わりの18日間に当てはめたことから、立春立夏立秋立冬の前の18日間を土用といいます。
次の季節へ移る前の調整期間といったところでしょうか。
一般的には立秋前の18日間の夏土用をさします。この期間を暑中と呼び、暑中見舞いを出す時期でもあります。
また、夏土用に入って3日目が晴れれば豊作、雨が降れば凶作といわれています。この豊凶占いのことを「土用三郎(どようさぶろう)」といいます。
2016年は
冬土用:1月18日~2月3日 (太陽黄径297度)
春土用:4月16日~5月4日 (太陽黄径27度)
夏土用:7月19日~8月6日 (太陽黄径117度)
秋土用:10月20日~11月6日 (太陽黄径207度)

最初の日を「土用入り」最後の日を「土用明け」といいます。
※上記の太陽黄径は入りの日のものです。
※入りの日によって18日間でない場合もあります。約18日間と解釈してください。

 

土用の丑の日
夏の土用は、1年の中で最も暑さが厳しいとされる時期にあたるため、江戸時代にはこの期間の丑の日を「土用の丑の日」と重視し、柿の葉などの薬草を入れたお風呂に入ったり(丑湯)、お灸をすえたり(土用灸)すると夏バテや病気回復などに効き目があるとされていました。
年によっては、土用の期間に丑の日が2回訪れることもあります。この2回目の丑の日を「二の丑」といいます。

2016年の土用の丑の日は:10月22日(土)、11月3日(木)です。


●うなぎ
7月の土用の丑の日にうなぎを食べると夏バテをしないといわれています。
実はこの風習、江戸時代の万能学者であり、発明家でもある平賀源内が仕掛けたものだったんです。
知り合いのうなぎ屋さんが夏はうなぎが売れないと困っていたのを見て、店の前に「土用丑の日、うなぎの日」という貼り紙をしたのです。
これが大当たりして、土用の丑の日にうなぎを食べる風習となりました。元々この日に「う」のつくものを食べると病気にならないという言い伝えがありましたので「う」のつく食べ物=「うなぎ」として定着したのでしょう。
栄養たっぷりのうなぎを食べて、夏バテを吹き飛ばしましょ。

●土用の虫干し・土用干し
夏土用の時期に、カビや虫の害から守るため、衣類や書物に風を通して陰干することを土用の虫干しといいます。
また、この期間は田んぼに水を入れず、土をひび割れ状態にします。これは雑菌の繁殖を抑える効果があり、根がしっかりと張るんだそうです。
梅干しの天日干しもこの時期です。


●土用にしてはいけないこと
・土を犯してはいけない(土を掘り起こしてはいけない)。
土用の期間は、土を司る土公神(どくしん・どくじん)という神様が支配するといわれ、土を動かしてはいけないとされてきました。今でも、家などを建築する際、土を掘り起こしたりする基礎工事などは土用の期間をはずす方が多いようです。
土用は季節の変わり目ですから、農作業で体調を崩さないようにとの戒めもあると思われます。


●土用の間日(まび)
土用の間日(どようのまび)は、土用の期間の中で特別に設けられた日。土用中は忌む、土を動かす作業をしても問題ないとされた。

※まび【間日】とは
① ひまのある日。仕事と仕事の間の日。あいのひ。あいび。
② 暦こよみで、壬子みずのえねの日から癸亥みずのといの日に至る12日のうち、丑うし・辰たつ・午うま・戌いぬの4日間。
③ 瘧おこりの発作の起こらない日。 「 -には影もさしませぬ/歌舞伎・幼稚子敵討」

成立
土用は、土公神という土の神が支配する期間とされたため、動土、穴掘りなどが忌み嫌われていた。しかし、一般の仕事に支障が出るために、間日が設けられる。この間日には、土公神は文殊菩薩に招かれて天上に行くので、地上にはいなくなるという。

それぞれの土用の間日
季節ごとの土用について、十二支の日で決まっている。
春:巳・午・酉
夏:卯・辰・申
秋:未・酉・亥
冬:卯・巳・寅

土用の期間中土を掘り起こしてはいけないとなると、いろいろと支障が出てきそうですね。でもご安心あれ。土公神が天上に行き、地上にいなくなる「間日(まび)」が設けられているので、この日は作業をしてもいいとされています。
冬土用の間日:寅・卯・巳の日
 ※2016年は1月21日・22日・24日・2月2日・3日
春土用の間日:巳・午・酉の日
 ※2016年は4月17日・18日・21日・29日・30日、
  5月3日
夏土用の間日:卯・辰・申の日
 ※2016年は7月20日・21日・25日、8月1日・2日・6日
秋土用の間日:未・酉・亥の日
 ※2016年は10月20日・28日・30日、11月1日

 

●土用の期間中の過ごし方
・土を掘り起こす作業をしない。
夏土用
・暑中見舞いを出す。
・衣類や書物の虫干しをする。
・梅干しの天日干しをする。
・薬草などを入れたお風呂に入る。
・うなぎや梅干しなど「う」のついたものを食べる。


■うなぎ、梅干し、瓜、うどんなど「う」のついた食べ物
土用の丑の日のうなぎは有名ですが、昔からこの日に「う」のつくものを食べると病気にならないといわれてきました。
例えば「梅干し」「瓜」「うどん」など。いずれも、食が細くなる夏に食べやすいものですね。このような言い伝えは先人たちのありがたいアドバイスともいえるわけです。
他にも「土用~」という食べ物があります。
土用餅 土用しじみ 土用卵

10月31日のハロウィンと日本の季節祭事について

ハロウィンと日本の季節祭事

毎年10月31日はハロウィンの日です。

★ハロウィン、あるいは、ハロウィーン(英: Halloween または Hallowe'en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。

カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
しかしキリスト教の祭ではない様です。

ハロウィンは日本でも年々盛り上がり、仮装姿は秋の風物詩となってきました。

子供たちにとっては楽しい催事の一つでしょうから大いに楽しんでもらいたいですね。

処でハロウィンは外国だけの季節催事かと思いきや、日本にもあったのです。

ローソクもらいや節分お化けそしてコスプレ等がありました。

それらを少し紹介いたします。


★ローソクもらい - 北海道にて七夕に行われる当行事と類似した行事。
ローソクもらいは、7月7日もしくは月遅れの8月7日の七夕に北海道で行われる行事である。「ローソク出せ」とも呼ぶ。

 

●概略
「ローソクもらい」は、子供たちが浴衣を着て提灯を持ち、夕暮れ時から夜にかけて近所の家々を回って歌を歌い、ローソクやお菓子を貰いあるくハロウィンに似た習わしである。
富良野市室蘭市函館市(とその周辺の市町)では7月7日、その他の多くの地域では8月7日におこなわれ、七夕から盆にかけておこなわれる地域もある。現在も北海道各地でおこなわれているこの「ローソクもらい」は、古くから拓かれた函館や江差などの道南地方や、札幌市など家々の密集する地域でとくに顕著にみられる。

函館の古い習俗を記した安政2年(1855年)の『函館風俗書』(蛯子七左衛門著)には、七夕の習わしとして、子供たちがめいめいにガク灯籠を差し出して、柳に五色の短冊をつけて、笛や太鼓を鳴らし囃し立てて歩くようすが描かれている。ここではローソクを貰い集めることは記されていないが、灯籠を見せて歩く習わしは、「ねぶたッコ見てくれ」と練り歩く青森県のねぶたの習わしに似ている。

ローソクもらいの日には、学童前から小学校低学年の子供たちが缶灯籠や提灯を手に三々五々集まり、7人前後の集団となって、囃し歌を歌って近隣各戸を訪ねあるく。

近年では地域社会における人間関係の希薄さや治安の悪化、火災の心配などから行事を行わなくなった地域、もしくは提灯を使わず、マグライトやLEDライトを使用する等、防犯の面から行動域を自宅付近に限定するといった様な時代に合わせて変化している様子がうかがえる。場所によっては日が沈む前の明るい時間帯に行う地域も増えてきている。

現代の子供たちは当然お菓子を貰うことを期待しているが、引越してきたばかりの人など、この行事を知らない人は囃し歌の通りにローソクをあげてしまうので子供ががっかりしてしまうことがある。また、菓子を準備していない家は菓子代としてお小遣いをあげることもある。

●札幌近郊 道東遠軽町周辺 室蘭市登別市 旭川市(一部地域のみ) 歌志内市 釧路市 余市町

「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー噛み付くぞー」

等があり、地方によって少しづつ違ってくる。

 

★節分お化け - 京都と大阪で立春の節分に行われる仮装。理由がハロウィンと同じである。
節分お化け(せつぶんおばけ)、あるいは単にお化け、オバケとは、節分の夜に(立春前夜)の厄祓い(厄除け)として行われる日本の儀式。普段と違う服装で、社寺参拝を行う異装儀式である。

●概要
節分の夜に、老婆が少女の髪型である桃割にしたり、逆に少女が成人女性の髪型である島田に髪を結ったりする。このため「オバケ」とは「お化髪」が語源であるという説もある。また異性装も行われる。そしてこのような異装のまま、寺社へ詣でて新年の平穏を祈ることも行われる。

このような異装を行うのは、違う年齢や違う性など「普段と違う姿」をすることによって、節分の夜に跋扈するとされる鬼をやり過ごすためである。

立春前夜は、暗い季節(秋・冬)と明るい季節(春・夏)の変わり目である。 また旧暦では年の変わり目である1月の始まりもおおよそこの頃であり、方位神が居場所を変えるなど、古い年から新しい年へと世界の秩序が大きく改組される不安定な時季と信じられた。

この様な時季には現世と異世界を隔てる秩序も流動化し、年神のような福をもたらす存在が異世界からやってくる反面、鬼などの危害をもたらす存在もやってくるとされた。そこで豆まきなどの追儺儀式が行われるが、お化けもまたそうした儀式のひとつである。

歴史
民間信仰に属する儀式のため、節分お化けがいつごろどのように始まったかについて詳しくはわかっていないが、京都を中心として江戸時代末期から盛んに行われていたとされている。しかし、昭和初期に町衆の行事としては廃れた。

町おこし
2000年代頃より、各地の町おこしの一環としてお化けを行う例も見られる。この場合、厄除けの儀式といった信仰面より仮装行列として楽しむイベントとしての面が強調されている。
●吉原
吉原では、「よしわら節分お化け」が行われる。

●京都
京の花街で節分に行われる季節の演し物や観光資源として、再び行われるようになったあまり知られていないイベント。

この節分お化けでは、芸妓などが時代劇やスポーツ選手、海外の民俗舞踊など、通常の衣装とは違う様々な扮装をして座敷に出る。また客の方も様々な扮装をする場合もあり、時には客の男性が芸妓や舞妓の扮装をして他の客の座敷に出ることもある。

通常このような場所では客が他の客の座敷を覗くことはタブーであるが、お化けの時には年に一度の例外として上がり込む事すら許されるのである。また、この花街におけるお化けでは、厄年の者が異装して厄払いとすることも行われる。

1月の正月と4月頃の花街のをどりとの間の云わば閑散期の集客イベントとして開催されるようになった。

★コスプレ
コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。それらのジャンルの愛好者や同人サークルが集まるコミックマーケット同人誌即売会を始めとする各種イベント、また、ビジュアル系バンドのライブ会場等で見かけられる。コスプレを行う人をコスプレイヤー (cosplayer) と呼ぶ。

コスプレはコスチューム・プレイを語源とする和製英語だが、世界中で通用する単語であり、英語表記のcosplayは、イギリスの辞書に載っている英単語である。

近年は意味が拡大し、特定の職業で採用されている制服や特定の着衣を好む者が、その衣装を真似て作った服もしくは本物を着て、自らの意志でそのキャラクターになりきることもコスプレと呼ぶことがある。しかし、狭義のコスプレに限るべしとの意見もある。

 

10月30日は「たまごかけごはんの日」 たまごかけごはんと女優と雲南市

10月30日はたまごかけごはんの日

島根県雲南市の「日本たまごかけごはん楽会」が制定。

2005(平成17)年のこの日、第1回日本たまごかけごはんシンポジウムが開催された。

日本たまごかけごはん楽会は島根県雲南市にて1年に1度「日本たまごかけごはんシンポジウム」なるものを開催している。

開催概要によると、このシンポジウムは「たまごかけごはんとのエピソードやスローライフへの考え方、歴史学民俗学など、様々な角度から語り表現する」ものであると言われている。

●卵かけご飯について
卵かけご飯は近年ではTKGという略語としても話題となり、卵かけご飯専用の醤油が販売されるなど、岡山といった全国各地に卵かけご飯専門店ができている。卵を生のまま食べるのは日本独自の食文化であり、海外では加熱調理してから食べるのが一般的である。

アレンジレシピとして、味の素やごま油をかけたり、納豆を加える食べ方もある。

●卵かけご飯のカロリー
156kcal 100g
356kcal 228g(茶わん一杯)

 

●女優の夏木マリはたまごかけごはんが好き?

夏木マリさんはなにより、、たまごかけごはんが好きなんだそうです。

「死ぬときは卵かけご飯に顔をうずめて。」は結構本気で思っているようで、ラジオなど他のところでもたびたび語っています。

夏木さんは、どーしても東京で食べたい!との想いから、うどんの有名店「つるとんたん」六本木店・新宿店の出店プロデュースをするなど、食にはかなりこだわりがあるようです。

 

夏木マリ

夏木 マリ(なつき マリ、1952年5月2日 - )は、日本の女優、歌手。旧芸名及び旧姓は中島 淳子(なかじま じゅんこ)。


来歴
東京都豊島区生まれで、小学校3年から中学校3年まで埼玉県さいたま市大宮区(旧・大宮市)で育つ。

1971年、19歳の時に本名の中島淳子名義で「小さな恋」にて歌手デビュー。ジャニス・ジョプリンのような曲を歌いたかったが希望は受け入れられず、清純派アイドルとしてデビューした。しかしあまり注目されず、キャバレー回りの日々が続く不遇の時代を過ごす。

1973年に現在の夏木マリ名義で「絹の靴下」を発表。妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれた同曲は大ヒットした。その後各局の歌番組に続けて出演するなど多忙な日々を過ごすが、低色素性貧血で3か月の入院を余儀なくされ、復帰した時には仕事が激減し、再びキャバレー回りの生活に逆戻りしてしまう。

ダンサーが踊るレビューショー小屋での仕事中、演劇を仕事としている観客に台出演に誘われ、舞台の仕事を始める]。1990年に単身ニューヨークへ行き、自分も何かを発信してみたいと思うようになる。そして1993年、企画から構成、演出、出演まで全てを手がける舞台表現『印象派』を発表。以降、2009年までに80以上のステージを重ね、国内はもとよりドイツ、フランス、イギリス、ポーランドでも公演を行い、高い評価を得ている。

1995年、小西康陽からのアプローチを受けミニアルバム『九月のマリ-』を発表。

2006年、ブルースバンド『GIBIER du MARIE』を結成[5]。アルバムのプロモーションビデオの監督も務める。

2007年、パーカッショニストの斎藤ノヴと交際中であると発表し、夏木はこれを「フランス婚」と表現し、籍にこだわらないことを明かしている。

2009年、パフォーマンス集団『MNT(マリナツキテロワール)』を立ち上げる。

2010年、支援活動『One of Love』プロジェクトをスタート。バラと音楽のこのプロジェクトは、その収益を途上国の働く女性と子供たちに支援している。毎年6月21日(世界音楽の日)に開催されるGIGには様々なアーテイストも参加している。

2011年5月に斎藤と入籍していたことを26日に発表。

2015年、キャリア44年目、62歳で初めての全国ライブハウスツアー「夏木マリ MAGICAL MEETING TOUR Live & Talk 2015」を敢行する。

2016年、華原朋美土屋アンナシシド・カフカ、LiLiCoと女性コーラスユニット「and ROSEs」(アンド・ローゼス)を結成。

 

別名義中島 淳子(旧芸名及び旧姓)

生年月日1952年5月2日(64歳)

出生地日本の旗 日本東京都豊島区

職業女優、歌手

ジャンル映画・ドラマ、舞台

活動期間1971年 -

受賞歴
芸術選奨文部大臣新人賞(1984年)
紀伊國屋演劇個人賞(1980年)
日本アカデミー賞(2003年)優秀助演女優賞
松尾芸能賞(2006年)演劇優秀賞
万年筆ベストコーディネート賞(2007年)
日本ジュエリーベストドレッサー賞(2009年)
モンブラン国際文化賞(2010年)
ザテレビジョンドラマアカデミー賞(2012年)ザテレビジョン特別賞
ネイルクイーン2012(2012年)協会特別賞
ベストジーニスト2012(2012年)協議会選出部門[34]
ジャパンシガーアワード(2013年)
第42回ベストドレッサー賞(2013年)


雲南市

雲南市(うんなんし)は、島根県の東部に位置する市である。
概要
2004年(平成16年)11月1日に、大原郡大東町加茂町木次町、飯石郡三刀屋町掛合町吉田村の6町村が新設合併して誕生した。
島根県で唯一海に面していない内陸の市である(中海を海とした場合)。中華人民共和国雲南省と同名であるが、当市名は令制国出雲国南部に位置することに由来する。市の人口は、全国の市町村で第587位である。

沿革
2004年(平成16年)11月1日 大原郡大東町加茂町木次町、飯石郡三刀屋町掛合町吉田村の6町村が新設合併。島根県下で9番目に市制を施行して雲南市が発足。
2007年(平成19年)7月 雲南ブランド化プロジェクトの開始。プロジェクトシンボルは、『幸運なんです。雲南です。』
2008年(平成20年) 11月9日 速水雄一が無投票で雲南市市長に再選(立候補者が一人だったため)。
11月16日 雲南市議会委員一般選挙の開票。
2012年(平成24年)4月、平成17年から続いていた財政非常事態宣言の解除を発表。
2013年(平成25年)3月30日、松江自動車道三次東JCT/IC - 吉田掛合IC間開通により、雲南市三次市広島市間が高速でつながり、所要時間が40分短縮される。


面積553.18km2
総人口38,586人 (推計人口、2016年8月1日)
人口密度69.8人/km2
隣接自治体 出雲市松江市安来市、飯石郡飯南町仁多郡奥出雲町、広島県庄原市

市の木いちょう
市の花さくら

気候 

北部と南部とで標高差があるため、北部の平均気温は14℃前後であるが、南部では12℃から13℃と平均気温にして2℃程度の差が生じる。年間降水量は約1,700mmから1,900mm程度で、冬季には北部でも降雪があり、南部や大東町木次町の山間部等では降霜や積雪により農作物や交通へ影響が生ずることもある。

●名所・旧跡・観光スポット
三刀屋城:県指定史跡
東日登温泉「おろち湯ったり館」
海潮温泉
斐伊川河川敷公園
加茂岩倉遺跡
出雲湯村温泉
龍頭八重滝(日本の滝百選) 龍頭が滝
八重滝

斐伊川堤防桜並木日本さくら名所100選
尾原ダム
加茂中央公園

●出身有名人
景山俊太郎(政治家:元参議院議員
竹下登(政治家・元内閣総理大臣他)
竹下亘(政治家:衆議院議員竹下登の異母弟)
樽床伸二(政治家:衆議院議員
世良譲(ジャズピアニスト)
永井隆(医学博士)
田部長右衛門 (23代)(実業家、政治家)
田部長右衛門 (24代)(実業家)
南Q太(漫画家)
琴三 (ことぞう) 都間壮 大相撲幕内格呼出し 佐渡ヶ嶽部屋所属
大津田裕美(ナレーター・ラジオパーソナリティ
木野村尚子(山陰放送元アナウンサー、現在は同局報道部記者)
野々村直通(高校野球指導者)
古居みずえ(フォトジャーナリスト、映画監督、掛合村出身。ただし、出雲市(旧今市町)出身説もある)
福山博之(プロ野球選手:東北楽天ゴールデンイーグルス所属)

●特産品
卵かけご飯専用醤油「おたまはん」 (株式会社吉田ふるさと村)
パスチャライズ牛乳 (木次乳業有限会社)
焼きさば

 

※こだわりのTKG(卵かけご飯)専門店一覧

★赤坂うまや うちのたまご直売所
東京都港区赤坂5-3-1 赤坂Bizタワー B1F
03-6426-5752
営業時間
9:00~21:00(L.O.20:30)
朝食営業、ランチ営業
定休日
不定休(赤坂Bizタワーに準ずる)

★Oh! saka Bar たまごん家 秋葉原UDX
東京都千代田区外神田4-14-1 秋葉原UDXビル 3F
03-3251-9533
営業時間
[月~土] 11:00~23:00(LO22:00)[日・祝] 11:00~22:00(L.O.21:00)※ランチタイム11:00~15:00
ランチ営業、日曜営業
定休日
無休

★たまごや とよまる
千葉県山武市松尾町山室431-1
0479-86-7660
営業時間
8:00~17:00
※たまごかけごはん定食は、ごはん無くなり次第、終了。
朝食営業、ランチ営業、日曜営業
定休日
毎月第1月曜日(祝日の場合、翌平日定休)

★九十九里ファーム たまご屋さんコッコ
千葉県香取郡多古町喜多大谷台413-44
0479-76-5054
営業時間
(食事提供時間)9:00~14:30
(販売所)9:00~18:00

朝食営業、ランチ営業、日曜営業
定休日
年中無休

★えごまたまごかけごはんの店
宮城県加美郡色麻町大字上新町158-2 JA加美よつば農産物直売所内
0229-65-4372
営業時間
10:00~15:00
定休日
水曜日


★たまごや食堂やませ
栃木県佐野市吉水町211-1 石川たまごや内
0283-62-0800
営業時間
11:30~14:00
16:00~19:00(L.O.18:30)

【お弁当】9:00~14:00、16:00~19:00
 
定休日
木曜

★おっぽに亭こっこ
山梨県北杜市白州町横手2129-1
0551-35-4445
営業時間
11:00~16:00 (冬季11:00~15:30)
ランチ営業、日曜営業
定休日
水曜日 祝日の時は木曜日休み


★美味卯(びみう)
大阪府大阪市浪速区日本橋5-15 日本橋住宅2号館 1F
06-6599-8829
営業時間
[月・水~土]
11:30~14:30(ラストオーダー14:00)
18:00~23:00(ラストオーダー22:30)
ランチ営業
定休日
火曜・日曜

★弁天の里
京都府亀岡市西別院神地御手洗8
090-7112-7262
営業時間
[月~水・金]
10:00~13:30
[土・日・祝]
10:00~14:30
※ 2014年7月現在
ランチ営業、日曜営業
定休日
木曜日

★但熊
兵庫県豊岡市但東町栗尾916
0796-55-0901
営業時間
10:30~18:00
(混雑具合により変更あり)
ランチ営業、日曜営業
定休日
無休(但し、8/14・12/31・1/1~3は休み)

★卵大
兵庫県神戸市中央区北長狭通1-21-4
078-331-1240
営業時間
18:00~17:00
夜10時以降入店可、夜12時以降入店可、始発まで営業
定休日
日曜日

★たまごや
兵庫県姫路市本町68 家老屋敷館「は」の屋敷内
079-289-0058
営業時間
11:00~16:00(L.O)
ランチ営業、日曜営業
定休日
木曜定休


★食堂かめっち。
岡山県久米郡美咲町原田2155 中央運動公園内
営業時間
9:00~17:00
朝食営業、ランチ営業、日曜営業

★たわら
福井県福井市開発町8-6-1
0776-97-8105
営業時間
11:00~14:00
朝食営業、ランチ営業、日曜営業
定休日
水曜

★たま一
広島県広島市西区横川町3丁目11-18
082-296-6150
営業時間
[月~金]
7:00~完売まで
[土]
7:00~18:00
[日・祝祭日]
8:00~18:00
朝食営業、ランチ営業、日曜営業

★あかね農場
福岡県福岡市博多区上川端町9-154
092-263-7897
営業時間
11:00~20:00
ランチ営業

10月28日は『群馬県民の日』 「鶴舞う形の群馬県」or「かかあ天下の群馬県?」

10月28日は『群馬県民の日(群馬県)』 

1871年(明治4年)の今日10月28日に、廃藩置県により「群馬県」という名称が初めて使われたことを記念して、1985年(昭和60年)に県が制定したもの。

県民一人ひとりが、郷土の歴史を知り、郷土についての理解と関心を深め、より豊かな郷土を築き上げる為の日で、群馬県では休日扱いになっています。

10月28日は群馬県民の日です。毎年、県民の日は公立学校等が休みになり、県内各地で記念事業や施設の無料・割引開放が実施されており、今年も多くの催しが予定されています。

●制定の趣旨及び経緯
 群馬県民の日は、昭和58年に「第38回国民体育大会(あかぎ国体)」「第19回全国身体障害者スポーツ大会(愛のあかぎ大会)」が開催され、県民意識が高まったことをきっかけに「郷土の歴史を知り、郷土についての理解と関心を深め、自治の意識を高めるとともに、より豊かな郷土を築きあげることを期する日」(群馬県民の日を定める条例第1条)として昭和60年に制定されました。

 制定に際しては、まず昭和59年10月に県各界の代表者を構成員とする制定懇談会が設置され、その中で期日・名称・制定形式等が検討されました。制定懇談会の報告を基に昭和60年3月「群馬県民の日を定める条例」が制定され、同4月施行されました。

10月28日に決定した理由
 制定懇談会において候補として挙がった期日は、下記の3案です。
初めて「群馬県」の名称が使用された(明治4年)10月28日
その後の統廃合で群馬県がほぼ現在の形となった(明治9年)8月21日
県民総参加で大成功をおさめた「あかぎ国体」の秋季大会開会の日であった(昭和58年)10月15日
 この中で、歴史的に由緒があり、記念事業が実施しやすい等の理由で10月28日が選ばれました。
 なお、明治4年当時日本はまだ太陰暦を使用しており、旧暦明治4年10月28日は太陽暦では1871年12月10日に当たりますが、12月10日は時期的に年の暮れで社会全体が忙しく、山間部では雪も降り始めることから、県民の日には10月28日が適当と判断されました。


群馬県
面積6,362.28km²
総人口1,967,158人
(推計人口、2016年9月1日)
人口密度309人/km²
隣接都道府県 埼玉県、新潟県、長野県、栃木県、福島県
県の木クロマツ
県の花レンゲツツジ
県の鳥ヤマドリ
他のシンボル 県の魚:アユ 県の歌:群馬県の歌
県民の日:10月28日
マスコット:ぐんまちゃん

・概略
上代においては「毛野国」(毛の国)を形成し、これを上下に分かち「上毛野国(かみつけぬのくに)」とされ、のちに上野国となる。現在の県域はほぼ上野国と一致し、今でも異称として「上州(じょうしゅう)」「上毛(じょうもう、かみつけ)」を用いることがある。

2014年(平成26年)に、富岡市富岡製糸場など4件が「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録。
2015年(平成27年)には、桐生市の桐生織物会館旧館など12件が「かかあ天下 ―ぐんまの絹物語―」の名で日本遺産に認定された。

また、群馬県は一世帯当たりの自動車保有台数、女性の運転免許保有数が日本一多い。
2008年(平成20年)度の県内総生産は7兆2216億円であり、世界の過半数の国の国内総生産GDP)より大きな規模を有している日本国内で比較すると、47都道府県の中で22位である。一人当たり県民所得は268.9万円である。

特産品
コンニャクの原料となるコンニャクイモの2007年度(平成19年度)の日本での収穫量は66,900t。主産地は群馬県 (89.5%) で第一位。

下仁田ネギ
下仁田ネギ(しもにたネギ)は、ネギの品種の一つ。群馬県下仁田町の特産品であることからこの名称がある。

特徴
他の品種のネギに比べて太く、また、いくつかの成分が他の品種に比べて多く含まれる。生のままでは非常に辛いが、加熱すると甘みが強くなり、非常に柔らかい滑らかな食感となる。このため、基本的に薬味としてでなく加熱調理に用いられる。すき焼きを始め、そのまま天麩羅にするなど、様々な料理に使われる。そのため一般の薬味に使われるような長葱と比べ価格は高めである。

歴史
いつ頃から下仁田で生産されていたのかは記録がないが、1805年(文化2年)、江戸にいた大名からと思われる下仁田産ネギの発注書が残っており、この頃にはすでに生産されていたと考えられている。また、この故事から、特に生産地では下仁田ネギを殿様ネギ(とのさまネギ)と呼ぶこともある。
名産品として有名になったのは明治以降で、特に昭和に入ってから有名になった。


群馬県の3大名物「かかあ天下に空っ風と雷」

上州名物の三つの「か」は、「かかあ天下」と「空っ風」と「雷」です。

空っ風は別名「赤城おろし」と言います。赤城山から吹き下ろしてくる北風なのでそう呼ばれています。

赤城おろしは九州男児が台風と間違えるほど強い風です。

雷も半端ではありません。「バリ、バリ、バリーッ」と男性でも怖くなるほどの音量でかみなり銀座とも呼ばれる。

空っ風と雷は地形と気象による自然現象ですが、「かかあ天下」とは、女性上位という意味です。

群馬県は雷や空っ風などの自然環境が厳しい土地です。荒れた土地で作物が育たなかったため、養蚕(ようさん)で絹を作り、絹織物が発展しました。

上州・群馬では江戸中期から蚕糸業が発達しました。


上州・群馬の女性は、春から夏にかけては、養蚕に精を出し、秋の収穫を終えると今度は、糸挽きと織物に専念した。

繭と生糸と織物を生産する優れた能力を持つ女性は高く評価され、彼女らの収入は、男性のそれよりもはるかに高額であった。

この為一家の主計が女性にあることが多く、又気候風土も相まって発言力は男性よりも女性の方が強かった。

他県の者は、妻が実権を握っている群馬の家庭を見て「かかあ天下」と揶揄しました。


日本書紀』(720年)には、群馬に関する興味深い逸話が残されています。
古代群馬の君主であった上毛野君形名(かみつけのきみかたな)は形勢不利な戦(いくさ)から逃げ出そうとしていました。ところがその姿を叱責(しっせき)、詰問(きつもん)した妻は夫を酒で眠らせ、自ら剣を取り出陣し見事に勝利。以後、東国は平和になったと言われています。

 

群馬県民気質
群馬県民は男女とも「勢いのある性格」といわれています。
現代の群馬県民にも勢いのある性格は受け継がれています。直情的で荒々しい性格をしており、雑な印象を受けることもあるでしょう。また、積極的で新しい物好きの性格も見られます。

群馬県は免許の保有者数も車の保有台数も他県に比べてかなり高いのです。
男女ともよく運転しているのは事実で、買い替えもよく行われています。
「熱しやすく冷めやすい」県民性ともいえるでしょう。
思いやりがあり世話好きなのも昔からで、頼られると断れない性格です。女性は活動的で勝気、仕事に燃えるタイプといえます。結婚したら財布の紐をしっかり握る世話焼き女房になりやすいでしょう。

昔も、現代においても上州・群馬の女性は働き者です。


※昔から一般的に言われる群馬県人のイメージと特徴。
男性
・熱しやすく冷めやすい
・ホットでウェット
・気性が荒く粗野
・陽気で裏表がない
・メンツにこだわる義理人情型
・お金に大ざっぱ

女性
・言葉遣いが強い
・心やさしく情に厚い
・気が強い
・働き者・頑張り屋
・女性ドライバー比率日本一
・活発

※独断と偏見による群馬県人気質

・赤城おろしはそよ風だと思っている。

・好きな地域表現は「鶴舞う形の群馬県」で「かかあ天下の群馬県?」と言われるのに抵抗を感じている。

・スズランを百貨店としてこよなく愛している。

・他県ナンバーに道で抜かれたら抜き返したくなる。

焼きまんじゅうは全国で売られていると頑なに信じている。

高崎市民は前橋市民に対し対抗意識が強く、新幹線が停車することに優越感を感じている。 

 

10月27日は『世界新記録の日』 君の名は? 「南部忠平」、「織田幹雄」です。

10月27日は『世界新記録の日』 :  
 1931年(昭和6)のこの日10月27日は、「神宮競技場」で行われた体育大会で、「南部忠平」の走り幅跳び7m98と、「織田幹雄」の三段跳び15m58の日本初の二つの世界新記録が誕生した記念日です。

 

1931年(昭和6)という時代は国際的には日本は認知されていませんでした。


また国内的には世相不安があり、東北・北海道地方、冷害・凶作で娘の身売りが急増していたころです。

日本ではコメと、みそ汁と、たくあんが主な食べ物だったのです。

そんな時日本の若きアスリートが世界をあっと言わせる記録を作ったのです。

君の名は?「南部忠平」、「織田幹雄」です。


日本の織田幹雄は1928年のアムステルダム・オリンピックで15メートル21を跳び、日本人・アジア人初となるオリンピック金メダルをもたらした。
次に日本の南部忠平 (1904 - 1997) は、1932年に開催されたロサンゼルス・ オリンピックの三段跳に出場し、15メートル72の世界記録(当時)を樹立して金メダルを獲得。さらに、1936年のベルリンオリンピックでは田島直人が16メートル00の世界記録(当時)で金メダルを獲得し日本が三連覇、その後の競技の発展に大きく貢献した。

 

まさに三人が織田幹雄がホップ、南部忠平がステップ、田島直人がジャンプと世界新で飛んで、当時三段跳は日本のお家芸とまで言われました。

コメ、みそ汁、たくあんの日本人アスリートが世界を席巻した時代でした。やったね。

 

★南部忠平
南部 忠平(なんぶ ちゅうへい、1904年(明治37年)5月24日 - 1997年(平成9年)7月23日)は、日本の陸上競技選手。走幅跳の元世界記録保持者。ロサンゼルスオリンピック陸上男子三段跳金メダリスト。
早稲田大学在学中の1928年(昭和3年)、アムステルダムオリンピックで陸上男子三段跳で4位に入賞。その後千里山へと定住し、当時在住していた織田幹雄と共に関西大学運動場で猛練習を重ね、1932年(昭和7年)8月4日のロサンゼルスオリンピック の同種目では、優勝(金メダル)の快挙を成し遂げた。また、走幅跳でも銅メダルを獲得。ちなみにこの時の三段跳の優勝記録15m72cmは札幌円山競技場のセンターポールの高さの由来となっており、このポールは「南部ポール」と呼ばれている。
男子 陸上競技
三段跳 オリンピック
金1932 ロサンゼルス
走幅跳 オリンピック
銅1932 ロサンゼルス
 
織田幹雄
織田 幹雄(おだ みきお、1905年(明治38年)3月30日 - 1998年(平成10年)12月2日)は、日本の元陸上選手、指導者。広島県安芸郡海田町出身。1928年アムステルダムオリンピック三段跳金メダリスト。
身長167cm (5ft 7in)
体重65kg (143lbs)
「日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、アジア人としても個人初のオリンピック金メダリストでもある。織田の金メダルにより、日本陸上は一躍世界の第一線に躍り出たと言われる。
当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」(現在はトリプルジャンプ)と呼ばれた競技名を「三段跳」と訳した。
三段跳では、織田(1928年五輪)・南部忠平(1932年五輪)・田島直人(1936年五輪)と3大会連続で金メダルを獲得したことから当時日本のお家芸とも言われた。なお、南部と織田は終生の友人であり、田島は織田の影響で三段跳を始めた関係でもある。
「陸上の神様」、あるいは「日本陸上界の父」と呼ばれ、戦後日本全国で陸上競技を指導普及したいわば育ての親のような存在である。国際オリンピック委員会(IOC)オリンピック功労賞受賞。

 

☆彡1931年(昭和6年)の出来事

満州事変、柳条湖事件
9月18日、関東軍参謀らが奉天郊外柳条湖(「柳条溝」と過って伝えらてきたが、正しくは「柳条湖」)の満鉄線路を爆破、関東軍は「自衛」と称してただちに軍事行動を開始し、19日に奉天長春など満鉄沿線の諸都市を占領した。
●政治
2月:幣原首相臨時代理、予算総会で失言、乱闘。
3月:【3月事件】桜会大川周明ら軍部のクーデターによる宇垣一成内閣樹立を企図、未遂。
9月24日:政府、不拡大方針を発表。
10月17日:【10月事件】 桜会大川周明らの軍部内閣樹立のクーデター発覚。
第2次若槻内閣(4月14日~)
浜口首相病状悪化による。
犬養毅内閣(12月13日~)
[総理]犬養毅[大蔵]高橋是清

●世相・風俗・流行・話題
東北・北海道地方、冷害・凶作で娘の身売り急増、 エアガール(スチュワーデス)、黄金バット(紙芝居の主人公)、傷洟軍人、トーキー、欠食児童

 

●ことば(流行語・話題の発言)
「アメション」
「アメリカへ小便しに行った」ということで、短期の洋行を冷やかしていう言葉。
「いやじゃありませんか」
「欠食児童」
家庭の貧困から、十分に食事を与えられない子供のこと。
「生命線」(松岡洋右代議士)
衆議院本会議の代表質問で「満蒙問題は、私は是はわが国の存亡に関わる問題であち、我が国の生命線であると考えていうる」と発言した。
「テクシー」
徒歩のこと。タクシーとテク(徒歩)とをもじってできた言葉。