花鳥風月・季節とともに暮らす喜怒哀楽365日

多情多感なメタボ招き猫が季節や日々の出来事、話題やニュースなどの情報や雑感をお伝えしています。

スポンサーリンク

8月11日はガンバレの日、「前畑秀子」が日本人女子初の金メダルを獲得した日。『前畑がんばれ!前畑がんばれ!前畑勝った!』

8月11日はガンバレの日、「前畑秀子」が日本人女子初の金メダルを獲得した日。

 

前畑は前回五輪でも「銀メダル」を取っていたんです。素晴らしいことなのです。

 

でもね~

 

それで満足することなく、最高の「金」を目指し見事に実現したのですから並大抵の練習、そして精神力があったからこその成果でした。

 

前畑秀子が優勝したことは単に競技で世界一になったということだけではなく「日本国民に希望と勇気」と与えてくれました。

 

前畑さんありがとう!


●『ガンバレの日』 :
1936(昭和11)年のこの日、ベルリンオリンピック大会の「女子200㍍平泳ぎ」決勝で「前畑秀子」が優勝し、日本人女子初の金メダルを獲得する快挙を成し遂げました。

そのラジオ中継で日本放送協会の「河西三省」アナウンサーが『前畑がんばれ前畑がんばれ!』と20回以上連呼した実況中継が日本中を大いに沸かせた記念日です。


「前畑頑張れ!」 第11回オリムピック大會 女子200米平泳決勝


前畑秀子 まえはたひでこ(1914―1995 大正3‐平成7)
オリンピックで優勝した水泳選手。和歌山県橋本町生まれ。椙山女学園

 

1932年(昭和7年)に開催された第10回大会ロサンゼルスオリンピックの200m平泳ぎに出場し、銀メダルを獲得した(金メダルはオーストラリアのクレア・デニスで、前畑とは0.1秒差だった)。

 

大会後は家庭の事情もあり、引退も考えたが、祝賀会に駆けつけた東京市長永田秀次郎が前畑に「なぜ君は金メダルを取らなかったのか。0.1秒差ではないか。無念でたまらない」と涙を流さんばかりに説得するなど(当時、永田は東京市長としてオリンピック誘致に奔走していた)、周囲の大きな期待に押され現役続行を決意する。

 

1日に2万メートル泳ぎきる猛練習を重ね、1933年(昭和8年)9月30日には200m平泳ぎの世界新記録を樹立する。

 

3年後の1936年(昭和11年)、ナチス体制下のドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎに出場し、地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、1秒差で見事勝利を収める。

 

日本人女性として五輪史上初めてとなる金メダルを獲得した。この試合をラジオ中継で実況したNHK河西三省アナウンサーは、中継開始予定時刻の午前0時を過ぎたため「スイッチを切らないでください」という言葉から始めた。

 

河西アナは、興奮のあまり途中から「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も絶叫し、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させた。その放送は現在でも語り草となっており、レコード化もされている。

 

また、ヨーロッパを視察中だった鉄道省技師の島秀雄が、この競技を実際に観戦していた。前畑はその後も世界記録を何度も樹立し、200m平泳ぎなどで活躍した(参考:日本の夏季オリンピック金メダル)。

 

1937年(昭和12年)、前畑は名古屋医科大学(後の名古屋帝国大学、現在の名古屋大学医学部)助手の兵藤正彦とお見合い結婚をして兵藤姓となる。

 

引退後は椙山女学園職員として後進の育成に努め、ママさん水泳教室を開くなど一般への普及にも貢献した。


1964年(昭和39年)11月の秋の褒章で紫綬褒章を受章。

 

1977年(昭和52年)ベルリンでゲネンゲルと再会、二人は一緒に50mを泳いだ。

スポンサーリンク